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中井祐樹 × Dr.F :どうしたら強くなれるのか? その発想と指導法2 ~人間学としての格闘技~ 


適性を見つける練習

Dr. F「とうぜん、組み技よりも打撃の方が好きという生徒だって、出て来るでしょうしね。

中井 そうそう、だからキックのジムとか、いろいろなところと協力体制を作り、生徒が打撃をやりたいというときに、「知ってるところがあるぞ、行ってこい!」って言えるような、相互に練習できるようなシステムを敷いているんです。

全人的な教育でありたいという意識はあって、子供たちにも相撲を取らせたり、レスリングをやらせたり、道着を着させて柔道やったり、また足を触ってもいいサンボをやらせたり、引込んでもいい柔術をやらせたりするんです。

 そのなかで、相撲が好きだという子が出てきても、型を付けながらやってみよう、となるとレスリングの方がおもしろいという場合もあるし、最初から引込んで関節を取る柔術がおもしろいという子もいたりする。

 また中学生ぐらいになると個性が出てきて、サンボのように足を触るのは得意じゃないけれど、がっぷり組んで投げるのが得意なヤツが出てきたりするんです。お前、グレコローマンに向いているなぁ、でも中学にグレコはないんだよな……ということもあるんです。こういう適正を見つけることが本当の練習なんじゃないかなとは思っています。

だから、先ほど先生がおっしゃったお話は、そのとおりだと思います。

Dr. F ありがとうごいます!
広島に、格闘技医学を含めて指導をさせていただいている道場があるんですが、そこで、子供たちと上段回し蹴りを練習していたときに、一人、なかなか上手く蹴ることができない子がいたんですね。そこで、テーマを胴回し回転蹴りに切り替えたら、その子が一番うまいんです!

 上段回し蹴りというのは、股関節を伸展させた状態から屈曲させた状態に持っていくのが主な動作なんですが、胴回し回転蹴りは屈曲させた状態から伸展させた状態に持っていくので、運動として真逆なんです。

 そのとき、その小学生から僕は、「指導の本質」を学ばせて頂いたんですね。

 それは、指導者側がどこに光を当てるかが大切で、練習は『上段回し蹴り大会』じゃないのに、そうしているのは指導者の側だったんですよ。違ったことを提示してあげることができれば、上段回し蹴りが不得意な子も伸びていけるし、劣等感を抱くことなく存在感も出していけると思ったんです。

中井 打撃にも共通しているものがあるんですね。

子供たちに向けた幅の広い指導は、実は始めたばかりで、『どの年代にどのくらいの技術を教えれば開花していくのか』というのは、MMAというスポーツを幼少から死ぬまでやりきった人がいないので、わからないこともたくさんあるんです。

僕が自信を持って言っているように聞こえるかもしれませんが、本当にわからないことだらけなんです。現実、生徒が試合に負けたりすると、僕の理論は崩壊したのか……なんて気持になることもあるんです(笑)。選手はもっと落ち込んでいるでしょうから、失礼な話になってしまうんですが。

 ただ、これをやれば同じ技ができるきっかけとなる、違う技を考えるきっかけとなるとか、ひとつひとつの動きの改善とか、解明していく動きとかを明確にしようと、先生は格闘技医学として取り組まれているんだと思いますし、僕は現場で、長年の経験を生かしながら行っていて。

 例えば、キミはみんなと同じ技をやっているけれど、ちょっと違うよね。それでも成功する可能性はあるけれど、成功しないときに、こちらの型も学ぶ必要があるんだよ、ということを教えてあげることが大切なんじゃないか、これが格闘技がもっている本来の意味なんじゃないかな、と思うんです。

前提を疑えるか?

Dr. F なるほど、成功しないときにどうするか、という視点、とても勉強になります。運動というのは多くの場合、"前提"で成り立っているんです。そしてこれが、その後の動きや成長に影響するんです。

 たとえば、人間の体は足は2本、手は2本、目は2つ、耳は2つ、左右対称だよね。だから真ん中に軸を取ってパンチやキックを出すのがいいんだよ、と教える方もいらっしゃいますが、解剖学的には心臓も肝臓も片側にしかなくて、人間は決して左右対称ではないんです。

 つまり"人間は対象である"と教えられて練習を続けていく人と、”非対称性もある”ことを知った上で練習する人では、最初の違いが後で大きな差を生んでしまうんじゃないか、と。

 物事をたくさん知っている必要はないかもしれませんが、新しい知識を入れる、また古い知識を捨て去ることで、脳の中の記憶が変わり、さらに認知が変わりますから、脳の前頭前野で起こる運動のイメージにいい影響を与える可能性があるんですね。

中井 なるほど、興味深いお話です。最近、クロストレーニングという言葉をよく聞くようになりましたが、それでも他のことをやるとマイナスになるという意見を持つ人がたくさんいて、今日、先生とこうしたお話ができて嬉しいです。

Dr. F「ああ、確かに否定される方はまだまだいらっしゃいますね。中井先生は総合格闘家として、また柔術家として幅広く活躍され、いろいろな経験を積まれてきたので、打撃、組み技などそのときの立ち位置によって見え方が違っていらしたでしょうし、言い換えれば、より多くのものを見ていらしたんでしょうね。

中井 僕の発想を分かってもらえないこともあって、時々、さびしさを感じることもあるんですが(笑)

ただ、生徒を教えていて、『この思考にとらわれていると、これしかできないよ』と本人に気づかせるようにしてはいますし、それでも本人が気づかないのも人生なので、それはそれでいいと思っているんですが……(笑)。そんな中で、いろんな可能性を持っている人が出てきてくれればと思ってやっています。

人間学としての格闘技

Dr. F「こうしてお話を伺っていると、中井先生はパイオニアですね。修斗、ブラジリアン柔術と、先駆者としてドアを開けてこられて、空いたドアからは見えないものを見ていらしたし、さまざまな立ち位置から多角的にものを見てきて、その経験から指導されているわけですから。

"山の登り方はひとつではない"と言ってもらえるのは、生徒さんにとって救いだと思います。

中井 ありがとうございます。僕は格闘技はルールの違いこそあっても、すべて同じだと思っているんです。

 どうやって相手に勝つとか、相手に負けなかったとか、良い結果が出るように考えつつ、それを続けていくことも大切だから、ケガをなるべく減らしてとか。

 さきほどの先生のお話にもあったように選手としての時期は短いですが、今は壮年部というのもありますので、長く続けることもできますし、その人の生活のなかで、どういった比重で格闘技に親しんでいくのかとか。なんとか上手くなって、ボロ勝ちしなくて、相手を一回返せたらいいなとか、それも各人の差があると思いますが、そうしたことを追求していって、よりよい動きを追求していこうという『全身を使った人間学』だと思っているんです。

Dr. F たしかに直接相手と対峙するという格闘技という競技の中で、喜びや緊張、他の競技ではなかなか味わえない痛みを、競技者同士が互いに共有しながら、それでいて、各人がそれぞれのライフスタイルの中で目標を持てるというのは、素晴らしいことだと思います。

格闘技医学 第2版

中井代表の推薦の言葉も。強さの磨き方。


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