ブレーキの正体
本当はこうしたいんだけど、やめておこう、とか
これについて発信したいんだけど、自信がないとか、
自分で自分にブレーキをかけてしまうことって、ないだろうか?
僕は(これでも)よくあったし、今もそれなりにあるのかも知れない。
でも、ある時期から『ブレーキの正体』を観察するようになった。つまり、「何がブレーキをかけているのか?」をちょっとクールに眺めてみるのだ。
そうすると、そこには案外「人の存在」がチラつくことがわかった。
・これをやると〇〇さんからなんか言われそうだ、とか
・△△先生は、きっと反対するに違いない、とか
・あのグループはこんな罵詈雑言を言いそうだ、とか。
ブレーキの正体は、案外「特定の人物や団体」に関する想像であることも多い。
でも、それって、よくよく考えてみると、誰かに気を遣っていることになる。誰かの顔色を伺っていることになる。
つまり誰かに攻撃されたくないとか、誰かに嫌われたくないとか、あるグループから外されたくないとか、そういう「怖れの感情」がブレーキをかけてしまっている。
これって無自覚に支配されている状態ではないだろうか?
怖れが無くなれば、それが理想的なのかも知れないけど・・・、
僕は「怖れの感情」を消去することができないので、つまり怖がるのは得意なので、怖れることを怖れようと思う。
PS. 紫外線って危険。ギリギリ手前の紫本主義。