紅茶商人・松田卓也の日記 ~Vol.004~ 【リーマンショックで全てが白紙に】
こんにちは。
オミクロン株が大流行中ですが、皆さまお変わりはないでしょうか?
私が最後にスリランカに訪れたのは、2020年の正月。
コロナ禍で現地に行く事ができず、早2年。
いったい、いつになったら行けるのやら・・・。
さて、そろそろ、なぜ私が紅茶の仕事に携わるようになったのかを、説明しなきゃいけませんね。
多くの方に、
・なぜ紅茶の輸入を始められたのですか?
・なぜ紅茶という商材に目をつけられたのですか?
と聞かれます。
中には、私が大の紅茶マニアで、趣味が高じて仕事になった、と思われる方もいらっしゃいます。
結論から申し上げますと、当初、紅茶に大きなチャンスがあると見込んで始めた訳でもありませんし、ましてや紅茶マニアだったという訳でもありません。
もちろん、今は紅茶に最大限の情熱を注いでいます。
ただ結局、ご縁を頂いたから、良いパートナーと出会えたから、という表現が一番しっくりきます。
もともと私は、経営一家の次男坊として生まれ、幼いころから商売が身の回りにある環境で育ちました。
祖父の代から続く金属研磨の工場があり、父親の代ではロシアを中心とした海外貿易業が始まりました。
幼少期の頃から、朝起きて1階に降りていくと、リビングに何人ものロシア人の大男がいる、といった事は日常茶飯事でした。
なかなか珍しい家庭環境ではあるかと思いますが、私と2歳上の兄にとっては、それが『普通』の環境でした。
私が外国人や外国の宗教に対するアレルギーがないのも、こういった環境で育ったことが大きいかと思います。
私は、家業の取引先である大手建設機械メーカーに修行に出され、建設機械の輸出のノウハウ叩き込まれました。
『よし、これで家業の為にガンガン建設機械を輸出するぞ』と、意気揚々と実家に帰ってきたものの・・・、なんと世界はリーマンショックに突入。
御多忙にもれず、わが社も荒波にもまれることになりました。
そして、『この状況で中小企業が、1台何千万円する建設機械を輸出するのは、リスクが高すぎる、こりゃ、いかん』という事になりまして。
家業は建設機械の輸出を徐々に減らす方向へとシフトとしていきました。
おいおい、話が違うじゃないか、おいらは何のために修行に出たんだい? となったものの、中小企業は時代の潮流を素早く読まなければ、あっという間に淘汰されていきます。
結局、社長である父親の判断は正しく、多くの企業が倒産していく中、わが社は何とか乗り切ることに成功しました。
そんな状況の中、私は新たな商材、新たな自分の役割を探す事になったのです。
~次回に続く~
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