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"小学校の授業に塾講師活用"の報道について思うこと

これは2023年11月27日に報道されたニュース記事である。
記事のタイトルを見た時点で「あー・・・」という感じであったが、学校が「外部人材」を活用することで良くなる可能性をそう簡単に閉ざすのも違うと思い、記事の中身を読んでみた。

途中読みながら引っかかった点もいくつかあった。
たとえば、
「効果を検証」すると言うが、そもそも千葉県教育委員会はどのような学校教育観のもとでどのような効果を期待し、どのように検証をするつもりだろうか。
とか、
短距離走の走行距離と走行時間を比例の関係で捉えてるけど、それでいいん?
とか。

千葉県の取り組み自体にも、「授業」という営みの捉え方についても、教育学およびその関連領域の多くの専門家が既に多くの批判を投げているし、これからも批判は続くだろう。(塾講師の方からも多くの批判が出てきていることに少し希望を感じている)

ここでは、(私は割と学校教員を取り巻く社会のあり方について考えがちな人間なので)この報道のあり方を批判したい。

授業を受けた児童は―  
「担任とは違って塾の先生は追加した難しいことを言ってくれて、自分のためになるし、良かった」「塾の先生は小ネタをはさむのが上手。(担任と)大きく違う」「算数はすごく楽しくなって好きになった」

当該記事より

上の引用で、この記事は締められている。
この取り組みに協力した学校の先生、おそらくこのクラスの担任の先生も視聴するであろうニュースの構成として、これはさすがにないだろう。一人の人間として素朴に「非人道的」だと感じた。
また、「学校の先生」と「塾講師」を対置し、授業者としての専門性を塾講師の方に認めるかのような安易な構成でもある。個々の小学生が自分の観測範囲内でそう実感することは構わない(し、子どもたちの伝え方次第では担任の先生への有意義なフィードバックにだってなるかもしれない)。しかし、一定の社会的責任を担うメディアであれば、そのような素朴な子どもの声を相対化するような目線で報道することが求められて然るべきだ。

この報道をした千葉テレビの基本方針には以下のようなことが書かれている。

千葉テレビ放送株式会社は、放送の公共性と社会的責任を重んじ、公正な立場で真実を伝えることで視聴者の信頼に応える。放送にあたっては、文化の発展、福祉の向上、教育・教養の普及、産業・経済の繁栄に努め、健全で豊かな地域社会の実現に貢献する。

千葉テレビ放送株式会社HPより

果たして今回の報道はそのような理念に背くことなく構成されたものと言えるだろうか。


▼続編です。

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