現場で使える教育社会学
今年度,初めての担任や初めての生徒指導部での経験から,(やはり初めて)生徒の「問題行動」の裏側にある様々な事情を真剣に考える機会を得た。
そして,これまで学校教育の中でも教科教育(特に英語教育)についてばかり考えてきた自分の教師としての「脆さ」を自覚し,教育社会学なる分野をより深く学ぶ必要性を痛感した。
そんな折にタイミングよく出版されたのが,中村・松岡(2021)『現場で使える教育社会学: 教職のための「教育格差」入門』だ。
目次
現役の教師や今後教師になることを目指す人が以下の目次を見れば,「今の自分に必要かも」と思える章が誰にでも1つ以上あるのではないだろうか。
学校教育の在り方は必然ではない
第2章(「教育内容・方法は社会と深く関わっている」)では,学校教育と社会の関わりについて,以下のように述べられている。
英語教育で言えば,「英語の授業は英語で」「週に一回の単語テスト」「全員一律の長期休業中の課題」「ALTとのチームティーチング」「ICTの活用」……etc
ある学校や教師にはもはや当たり前のこととして認識されている教育の内容・方法でも,それらは漏れなく我々の生きる社会の歩んできた歴史と不可分である。学校英語教育の存在そのものすらも歴史的事象であり,必然のものではない。
現状の学校教育制度や広く受け入れられている指導法の全てに対して疑問を持つまでしなくてもよいかもしれないが,少なくとも何に対してもそれが絶対的に良いものとは見なさない態度が重要である。
それは一つ一つの制度や指導法の効果のエビデンスが明確に示されていないからというよりは,「良い」「悪い」といった我々の価値判断が我々の生きてきた社会の価値観と不可分であるからである。
「英語をたくさん勉強して,英語が話せるようになるのは良いことだ」
と,本当に言い切れるだろうか。
「英語を話せるようになるためにかかるコスト(お金・時間)を考慮すると,そのコストを別のことに使うことでより大きなベネフィットを得られる」
という可能性もあるかもしれないし,
そもそも,英語が話せることは幸せに直結するのだろうか。
仮にそうだとしたら,アメリカにもイギリスにも社会的・経済的に苦しい生活を強いられる人が無数にいるのは何故だろうか。
英語を使って海外で活躍したい,自分の生きる世界を広げたいと考えるタイプの人にとって,それを実現した生活が魅力的であるとしても,それが全ての人に当てはまるだろうか。
「常識を疑え」と言ってしまうと極めてチープな感じがするが,現行の学校教育が絶対的な価値に支えられて行われているわけではないことは一教師として強く認識しておきたい。
特に,私のような若手教員は,教育経験・被教育経験を合わせても日本全体の中でもごく僅かの学校での経験しか持たない。
そのような中で培ってきた「学校教育の当たり前」は本当に「当たり前」なのか,常に疑うべきだろう。
「サボったら自分が苦しくなるだけだよ」と言うけれど
宿題について「やって来ないと自分が授業に置いて行かれるだけだよ」と言う先生が私の通っていた高校には複数いた。やはり英語が一番印象に残っている。教科書の本文を全文訳させるという「予習」だ。
みんな授業の時には該当範囲の日本語訳を終えていて,先生はそれを確認していくだけ。手元のノートに全て書いてある前提なのでその場で読んだり,調べたり,訳を整えたりする時間すらも当然与えられず,予習をしていない生徒はノーチャンスに等しい。
そのような授業スタイルに対して,英語教育学的な視点から「それって,そもそも読むことの指導になってるの?」とか色々言いたいことは出てくるが,それだけでなく教育社会学の視点からも批判されるべきである。
「宿題をする」という行為は教師になる/なったような人にとっては当たり前かもしれないが,学校外学習に対するハードルの高さにはかなりの格差があることが報告されている。(pp. 48-9)
親が非大卒である生徒ほど,宿題をしない。宿題をしない生徒ほど学校で好成績を取るのが難しく,学校で好成績を取れない生徒ほど,将来的に非大卒になりやすくなることは想像に難くないだろう。
宿題をしてくることを授業で学ぶことの条件としてしまうと,格差の放置どころか,格差の拡大に教師が手を染めることになりかねない。
私の通っていた高校は,それなりに高偏差値の生徒が集まっていたからそこまで問題は顕在化していなかったが,そこに問題がなかったとは言い切れない。
況してや,公立の中学校・小学校となれば宿題をやってくることを前提とすることには待ったをかけたい。
教育社会学を若手のうちに,できれば学生のうちに
大学の講義で用いられることを想定された書籍であるため,レポート課題や文献・メディア紹介なんかも載っており,この一冊からまだまだ掘り下げていけることは確かだが,この一冊を通読するだけでも学校で起こる様々な事象に対する見方がかなり変わる。
色々なタイプの学校を経験してきているベテラン教員であればその豊富な経験から本書に書かれていることを「何を今更」と受け流すことができるかもしれない。(数十年に及ぶ教育実践を本書を通して深く反省することになるベテラン教師もいるだろうけれど)
一方で,若手,特に私のように1,2校程度しか経験していないような教師にとっては,仮に全ての章ではないにしても,本書の15章のうち少なくともいくつかの章は自分の教育実践・生徒とのあらゆる関わりに対する深い反省を促すだろう。(一方,自分一人ではどうすることもできない,という絶望感も味わうことも覚悟しなければならないのだが,そこを乗り越えるためにこそこれを学ぶ意義がある)
そして,前述の通り本書は教員養成を担う大学の学部で用いられることを想定しており,私個人としても是非教員になる前に通読しておきたかったと強く感じたし,現在,そして将来,教職課程で学ぶ全ての学生に本書の知見を学んでほしい。
筆者らは教員養成課程で教育社会学が十分に取り扱われていない現状に対してこう述べている。
なお,筆者らは定期的な内容の改善・更新のために以下のFacebookグループにて対話の機会を開いている。
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