教科書を「資料」として使うリーディング 【入門】

少し前に,第1回大学入学共通テストが行われました。
自分も早速解いてみましたが,「難易度」とかいう問題ではなくて,英文を読む目的が変わった(というか,最低限設定された)という点が最も大事かなと思いました。月並みな感想ですね。

中学2年生,共通テスト風リーディングやってみた

オランダの自転車シェアシステムに関する教科書3ページ分の(中学2年生にとっては)結構長い英文。
当然,「頭から意味取っていくよ〜」なんてやったら,まるで教室にアロマキャンドルでも焚かれているかのように空気がまどろむことは自明です。
今までならいくつか「設問」を付けて,それを解くことを目的に読んでもらおうかな〜なんて感じで,読むのが大変そうなところには設問を作らないことで誤魔化してきました。

しかし今回は共通テストの問題からインスピレーションを得て(生きていればこんなこともあるんですね),「教科書の英文をもとにプレゼンテーション作ってみたんやけど,途中ウトウトしていらんスライドいっぱい作っちゃった〜。ちょっと教科書読みながら要らないスライド消してほしいなぁ!」という授業をやってみた。「その設定いりますか?」と聞かれたクラスでは「いりません」と答えました。

スライドは全部で6枚×4パターン + 最後の1枚。7枚目(最後の1枚)の"The bicycle-sharing system should be spread all over the world!"というスライド以外は全て4パターンずつ用意されていて,それぞれのスライドにおいてどの1枚を選ぶべきかを教科書の内容と照らし合わせて選びます。
「事実として正しいか」ということだけでなく,「本文の主張したいことと関連しているか」も重要なポイント。共通テストで聞かれるfactとopinionのあれに近いですかね。

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例えば上に貼った4枚のスライド③のうち,事実として正しいと言えるものは(「10倍」を大雑把に見れば)2つありますが,オランダの自転車シェアシステムの話をするプレゼンだということを踏まえて最終的に1つを選びます。
まぁ,この③のスライドに関してはほぼ本文との照らし合わせなんて必要ないんですが。

個人的なお気に入りは④のスライドたち。

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(自転車が増えすぎたことによる)traffic jamとか,famous for tulipとか色々なところに罠は転がっているものの,スライドのタイトルになっている通り,オランダで自転車が人気の理由を明確に2つ述べている箇所を本文から見つけることができればOK。
その上でこのスライドは,「オランダの多くの土地が海抜より低いところにある」という情報を簡単な地形図と照らし合わせて解釈することも必要になるという点が,いかにも共通テストっぽい気がします。

中学生,共通テスト楽しめる説

この授業,上で述べた通り元々は共通テストから着想を得たもので,まぁ(中高一貫で高校入試もないし)早いうちから大学入試の形に慣れておくのも悪くないかというぐらいの気持ちでやってみました。
正直生徒たちからしたら,頭から訳していく授業や見せかけのしょぼい設問が置かれた授業よりは楽しいかもしれないけど,そうは言ってもやってることは共通テストで求められてるようなことなんだからしんどいだろうなぁと思っていました。

ところがどっこい,いざやってみると今までにないぐらいの高い集中力で取り組んでくれます。「これ,相談してやっていいですか?」みたいな質問も出ません。一人でやりたい生徒は一人でやるし,クラスメイトと「ここはこっち?」「いや,でもこう書いてるよ」みたいなやりとりを自然と始める生徒もいるし,すごく好きな,凛とした,落ち着いた空気。人と協力するかどうかの決定も含め「主体的」で,英文(の筆者)・スライド(の作成者)・クラスメイトと「対話的」に学んでいると言って良いんじゃないかと思いました。ここまで高いパフォーマンスを引き出せたなら,学びの「深さ」ももう少しの教材の工夫で出せたかもしれないとも思います。

習熟度別で分かれている3クラス全てで同じ課題を課し,一番上のクラスでさえかなり苦労しながらやっていたので,一番下のクラスの生徒は正直かなりしんどかったと思います。実際「わからーん!先生来て〜!」とか「難しい〜〜〜〜」とかはあちこちから聞こえてきます。しかし,「無理!」とか「もういいや」とかそう言った投げ出すような言葉は一つも聞こえてきませんでした。まぁ僕の耳と記憶が都合よく出来てるだけかもしれませんが。
その一番下のクラスでは答え合わせをしようと思っていた日も,多くの生徒が「いや,まだ全然できてない」「もう1時間やりましょ!」と言ってくるので,急遽数人ずつのグループでスライド1枚ずつ担当して,自分達の担当だけでも英文と照らし合わせながら正しいスライドがどれか説明できるように準備しようという形に変更しました。
これ,すごくないですか?「これから答え教えるよ」と言っているのに,「まだ待ってください!」って。これが「勉強が苦手」のレッテルを貼られたクラスの雰囲気とはとても思えず,彼らの成長と授業の工夫が生み出す小さな小さな奇跡に僕は感動しました。

教員一年目もラストスパート。ようやく授業の方向性が

今年から正式に教員をやり始め,コロナによるオンライン授業やハイブリッド授業ばかりでなかなか学生時代イメージしていたような授業が出来ませんでした。全然詳しくないなりに勉強した洋楽も歌えなかったし,班の形にすることさえ憚られました。

文法の指導に関してはそれぐらいの(もはやレギュラー化した)イレギュラーにも対応して,面白く・深く・分かりやすくを実現できる自信がありましたが,一緒に中学2年生の英語を見ている先生との分担で文法は主にそちらの先生が見てくださっていることもあり,自分はリーディングを主にやることに。

自分自身の英語学習経験における「リーディング」は,大学受験レベルまでは全部読んで全部理解する活動,その後は数十ページある論文や本を自分の学習・研究の目的に照らして読む活動です。
目の前の生徒たちにとってはどちらもあまり現実的には思えません。今までは「受験のため」という大義名分があったかもしれませんが,おそらく全部読んで全部理解するという力は今後受験ですら求められなくなってくるだろうと思うとそれもやはり微妙です。一方,自分自身が音読によるトレーニングを重視していたことで,音読を効果的に行うためにやはり精読が必要だろうという考えも否定できませんでした。

そうして「精読の要求」「甘やかし」(文量自体を減らしたり,設問をつけて誤魔化したり)のシーソーに揺られて,どこまで生徒たちに読む力を付けられたのか不安しかないまま年が明けたという感じでした。

そんなタイミングで今回の実践に出会えたことで,ある程度頭の中を整理することができました。課題設定の工夫一つで生徒たちはしっかり英文に向き合おうとするし,その読みの過程は確かに将来に生きる,目的を持った読みだと感じられました。

そして何よりこの年代の生徒達にとって「英語を読む力」の大部分は「長い英文を見ても心が折れないこと」なのではないかと思いました。

まだまだ発問の質や目的・状況設定の面白さ,音読に繋げる準備と音読からの学び等々,改善の余地ばかりではありますが,今進んでいる方向はきっと間違ってはいないのではないかと思っております。

という,自分自身がようやくリーディング指導の門をくぐったかもしれないというお話でした。

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