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Weekly自分_220530-220605_人が動くと情報を吐き出す

はじめに

このnoteの無料部分では、僕が日々なんとなくやっている『糸井重里さんの「今日のダーリン」を読んだ感想文』が見れます。
また、有料部分は僕個人のWeeklyになっていて、普段から色々な場所に行ったりして感じたことが書いてあったりします。

今週の雑感

今週も終わりました。
昨日「体癖」というものを見てもらったのですが、どうやら僕は日曜日をきっかけに身体の性質が変化するようです。
奇しくも毎週日曜日にこのWeeklyを書いています。面白い偶然ですね。

今週は1日に京都にお能を見にいきました。
これはとても良い体験になったので、別のタイミングでnoteを書こうと思います。

今週もいい感じでした。来週もいい感じを目指します。
(しれっと「週報」から「Weekly」に変えました。そっちの方がとっつきやすそうだったので。)

今週の「今日のダーリン」を読んで

5月30日

『青春というのは「ふざけすぎた季節」だった』
という言葉を拾いました。

1974年というとそろそろ50年くらい経つのですが、そんな昔の音楽が今も老若男女問わず歌い継がれているのはとても面白い現象だなぁと思います。

それもこれもYoutubeの存在が大きいように感じています。
Youtubeにはジャンルの区切りも年代ごとの区切りもあまり無いので、良くも悪くもすべての楽曲が同列に並べられており、原作者の知名度よりもカバーをしたりした人の知名度で波及の仕方が変わってくるように感じています。

ジャンルごとの区切りや、年代ごとの区切りみたいなものをあまり考えずに、それこそビートルズからMy Hair Is Badまでを全部同列として見れるような今の時代は本当に豊かだなぁと思いつつ、系譜みたいな一貫した流れみたいなものを知る機会が減ってしまうのは少し残念だなぁと思ったりしています。

一長一短ですね。

5月31日

『「若いということに価値がある」と思いすぎないほうがいい』
『価値があるとかないとか、考えすぎることも、あんまり人を幸せにしない』
という言葉を拾いました。

最近、確実に中堅という肩書きになってきているなぁと思っていて、その中で感じたことは「若いときには若いときの楽しさがあり中堅には中堅の楽しさがありそうだぞ」ということです。
何もかもが目新しかった時期の世界の色鮮やかさも素敵ですし、今の色々な色の名前を知っている中で改めて見つめる色も素敵だなぁと思っています。

こういう風なことを書いてみると、おそらくその先にある年寄りになった時の楽しさもあるのだろうなぁと思っています。

さて、どんな楽しみがあるんでしょうね〜

6月1日

『「話していて「じぶんの考えを変えてもいいと思っている」という人とは気分が合うのではないか、という糸井重里さんの仮説』
『「この人はすごいことを考えてるなぁ」よりも、「この人はおもしろいなぁ」のほうが、たのしい』
『世間的に立派だと言われている人、偉い人、すごい人と思われている人たちのなかでも、「その場で変わることをたのしんでいる人たち」がいる』
『おたがい「いままで知らなかった時間」を過ごしたい』
『ほぼ日の創刊記念日は6月6日』
という言葉を拾いました。

中でも、『おたがい「いままで知らなかった時間」を過ごしたい』にはなるほどなぁと思いました。

確かに、話が盛り上がる時というものは、それぞれが知っていることを場に出しあっている時よりもそれを使ってみんなで議論したりする時間だと思います。
当初、想定していた仮の結論みたいなところからどんどん遠ざかっていき、最終的に「お弁当は海苔弁しか認めない」みたいな何がどうなってそうなってしまったのかわからない結論が出たりする時間こそがきっと「いままで知らなかった時間」というものなのかもしれません。

相槌の向こう側というか、もう少ししっかり人の話を聞く力を付けたいなぁと思います。

6月2日

『ジャングルでひとり、という境遇を考えると敵をつくらないことがとても大事で、「味方をつくること=敵をつくること」ということを頭に入れておいたほうがいい』
『味方がいると心強いけれど、その「味方の人の敵」も、必然的についてくることになる』
という言葉を拾いました。

『味方がいると心強いけれど、その「味方の人の敵」も、必然的についてくることになる』という言葉を見て、改めて「味方」という概念を考え直そうと思いました。

まだ僕はその人の周りの関係性しか見えていないので、出来そうなときにはその人の周りの人の周りの人の関係性を見てみようと思ったりしました。
まぁ、それを観察するにはその人の周りの人がたくさん集まる場所に入り込めないと不可能なので、まずはその人とほどほどの距離感を持ちつつ仲良くなることが必要になってくると思いますが。

ほどほどの距離感を持ちつつ人と仲良くなることって塩梅が難しいなぁと思います。

6月3日

『糸井重里さんは、時としてじぶんが「お調子者」であることを完全に否定しようとは思わない』
『「お調子者」というのは、軽率、思慮が足りない、計画性がない、などの悪い意味がほとんどだが、「調子がいい」というのは、その場をおもしろくするという側面もある』
『糸井重里さんは「無行動派のお調子者」』
『糸井重里さんは今、「檜原村に古民家を買う」「屋上の田んぼ」について考えている』
『「東京都下」とか「屋上」とか、近い感じが魅力的』
という言葉を拾いました。

僕はわりとお調子者です。
「行けるところまで行こう」とか「昇れるところまで昇ろう」みたいなことを常日頃から言ったりしています。
風が吹いてるうちに飛べ、鉄は熱いうちに打て、そんな感じの言葉が好きです。

この性格がどこから来たのか?という事を考えてみたのですが、小さいときからずっと熱中していた漫画やゲームの中からだと思っています。
とかく、主人公というものは意識的にも無意識的にも一歩踏み込む人物だと思っていて、そういうものへの憧れみたいなものが言動にも表れているように感じます。

そういえば自分を表す漢字は「楽」なんだろうなぁと思ったりしています。

6月4日

『記憶力がひどい個性を「たっぷりクイズが楽しめる」と言う言い換え』
『名前は忘れるけどあだ名は忘れない』
『糸井重里さんのやってきた仕事というのは、モノゴトや状況なんかにあだ名を付けることだった』
『あだ名は「比喩」、本名とは「看板」』
という言葉を拾いました。

僕も人の名前を覚えることが絶望的にできません。
ただ、「下の名前だけ」だったり「あだ名」だったりは意外と覚えれています。
社会人になってから人の名前を覚えることはどうやらとても難しいっぽいぞと気づいてしまい、それからはどうすれば覚えていられるか試行錯誤をしています。

最近は、最初の段階で「なんてお呼びすればいいですか?」と聞いてしまったりしています。その時に普通に苗字で呼んでくれと頼まれてしまうとかなり弱ってしまうのですが、聞いてしまった手前間違うわけにはいかず「あの〜」とか言いながらなんとかその人の名前を呼ばなくて良いような状況を作ったりします。

なんで名前が覚えられないか?と思って考えてみたのですが、苗字がそこまでその人を表していないからな気がしたりしています。
知らんけど。

6月5日

『「ほぼ日の學校」と「ほぼ日刊イトイ新聞」に共通するのは「きく」ということのたのしみ』
『いつでも「言いたい」の時代だが、「言いたい」以上に「聞きたい」が大事なんじゃないか』
『「ほぼ日の學校」のテーマは「門前の小僧習わぬ経を読む」』
という言葉を拾いました。

「きく」にも受動的な「聞く」と能動的な「訊く」があると何かの本で読んだ記憶があります。
最近はまさしくそうだなと思っているのですが、昔は「訊く」って何よ!とか思っていました。
確かに、相手への興味関心がなければなかなか「訊く」ことは難しいように感じます。

同じように「聴く」という言葉もあります。
「聞く」と「聴く」は僕の中ではなんとなく似ていて、いつも英語で喩えてしまうのですが「聞く=hear」と「聴く=listen」みたいな感じで例えています。
「聴く」に関しても対象への興味がなければなかなか難しいように感じます。

そして最後に、「きく」には「効く」や「利く」という漢字もあてられます。
「聞く」や「聴く」や「訊く」は受動的にしろ能動的にしろ情報を得る行為なので、必然的に何かに「効いたり」「利いたり」するのだろうなぁと思います。

ほぼ日、ハッピーバースディ!!

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