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200621_中本のカップ麺に納豆を入れるのは見た目的にはナシ、味的にはアリ

どこからどこまでを文化という言葉で括ってしまえるのか?という疑問はとても難しい。 あくまで僕の中の解釈だが、科学芸術料理だいたい人間の内から生まれるようなものは文化で括ってしまっても良いように思う。 文化なので、無闇矢鱈に侵害してはいけない代わりに、誰かが不幸になりそうな文化はきちんとゾーニングする義務があるように感じる。

僕の中の元ヤンキーの女性、「この人」と決めた人と結ばれた場合は余程の不義理がない限り見限らないように感じている。  その理由として、ヤンキーは生き様だからだ。 生き様故に簡単に曲げる事は難しく、曲げる事が難しいからこそ強固で侵されにくいのだと思う。 そこにはある種の美しさがあるのだけど、それと同時に儚さや危うさも醸し出していて、どうかそのまま平穏無事でありますようにと見る度に思ってしまう。

義務と権利、果たしてどちらが尊重されるのであろうか? 義務を果たした結果として権利が認められるのか、それとも権利が認められるから義務が課せられるのか果たしてどっちなのだろうか? 前者に対しての反論として、今間違いなくこの世に存在しているのだが、自分自身が存在する権利を得る為に何か義務を果たしたかと言われるとおそらくそのような事はしていないと思われる。 後者に対しては、もしかしたら今後見えてくるのかもしれないが契約の対価がいつまでも見えてこない契約は不平等なものになってしまう恐れがある。 なぜこんな事を考えたのかというと、働きたくない人の働かない権利を概した場合、人権侵害になるのであろうか?という問いが浮かんだからだ。 

withコロナ時代のライブハウスは180人の定員が8人になってしまうらしい。 まさかの95%減だ。 3月4月の海外からの観光客の前年度比くらいの下落率だ。 こうなってくると、逆に今までの定員設定がどれほど過密な状況で一定の広さのスペースに押し込まれていたのだろうか?と不安になってくる。 ざっくり考えた感じだと単位面積当たりの人数が20倍ほどになる計算なのだが、もはやよくわからない状況だ。 95%減の状況というものは今までのビジネスの収益構造を抜本的に変えるしかないような下げ幅なので、今後ライブハウスがどのように収益構造を変化させていくか非常に興味があるし、関連する法案がどのように変化していくか楽しみだ。

M、いよいよ5話まで来たのだが、片目の見えない秘書さんのキャラがどんどんぶっ壊れてきてとても面白い。 いくら御社がオープンな社風だったとしても、会社にウェディングドレスは持ってこれないだろうと思う。 あと、ライバルなアーティストの謎のフォーメーションを組んだ上での悲しいシーン。 なんで画角を意識してるんだよ!というツッコミはもはや意味を成さない。

今日は夏至だったらしく夜の20時くらいまで外が明るかった。 明るかった事は明るかったのだが、夕闇が長い感覚がしてどこか異界が近くに感じられ少しドキドキしてしまった。 気になって調べたところ、日本では農作業の繁忙期と被る為そこまで行事とは紐づかなかったようだが、海外だと動物が繁殖期に入る時期に当たるらしく、そのような行事が多いそうだ。 稲作文化圏と麦作文化圏の違いがこういう所にも現れているみたいで興味深い。 

【今日のカバー写真】
こういう写真、なんとなく夏を感じさせてくれる気がして良いなと思います。 ちなみに今日は夏至です。

以下は有料ですが、インターネットを見ていて気になった記事のリンクを載せています。技術に関するものから音楽などの趣味的なものまで。
もしも万が一ご興味があれば是非。

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大阪で音楽関係の仕事をしています。 アニメや漫画、TVゲームからボードゲームまで広く遊びが好きです。