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奥多摩で考えたこと

東京都西部にある奥多摩町ってどんな雰囲気なのかずっと興味があって、すこし時間ができたので一泊二日で滞在をしてきました。
町内を歩いたり、色々な方のお話を聞けたりして、全く知らなかった奥多摩町のことが見えてきて興味深かったので記録しておこうと思います。

町の雰囲気

奥多摩はコンパクトな町の中に、小規模な飲食店が並び、とても居心地のよい雰囲気でした。割と最近できたというブルワリーなんかもあったり(かなりビール美味しかった)、徒歩圏内に温泉やキャンプ場もあったりで、都内で自然を満喫しながら滞在するにはとてもいい町でした。
また泊まったゲストハウスでは集まったゲストの方々と食卓を囲みスローな時間を過ごすことができて最高でした。朝起きたら川のせせらぎが聞こえるなんて東京とは思えない体験。

町を歩いている観光客を見ると、思いの外海外の方が多かったです。浅草や上野とかではなく、奥多摩を選ぶという方も少なくないのですね。

駅の前に飲食店街がある(写真をあまり撮っておらずです。)

産業の勢いを感じる

2日目の朝、ゲストハウスの方に、山の細い道を歩いていくと無人トロッコがあるよと教えていただき、見に行ってみることにしました。
歩いていくと、道中にかなり目立つ大規模な工場がありました。どうも石灰石を採掘していて、その関係の工場のようです。これを見たとき、工場の規模感や資源採掘という役割から町の基幹産業っぽいなぁと感じました。

大規模な工場
かなり広い範囲で工場が続く

細い山道を10分ほど歩くとトロッコがありました。動いてはいませんでしたが、おそらく採掘した石灰石を運ぶものだと思われます。
工場の規模や、どこまで続いているかわからないトロッコなどを見て、高度経済成長期の国内産業の勢いを感じます。

細い道が続く
トンネルの奥まで続く年季を感じるトロッコ
川の上を渡っている

トロッコ見学はこれくらいにして、次もゲストハウスの方から教えていただいた、ジブリっぽいトンネルを見に行くことにしました。
こちらも細い道をあるいていくと、ありました。現在は立ち入り禁止になっていましたが、たしかにジブリっぽい。。

生い茂った木々に囲まれた廃トンネル

工場やトロッコ、廃トンネルなどを見て、かつての奥多摩は産業で結構栄えていたのだと感じました。

なぜ鉄道で奥多摩に来れるのか

お昼を食べにうどん屋に行ったところ、地元の方が3名ほどいて、これはいい機会だと思い、いろいろ聞いてみました。
「あの工場は町の基幹産業だったのですか?」と聞くと、「そうそう。奥多摩まで続く鉄道はもともと石灰石を運ぶために作られたのよ。今は人口5,000人ほどだけどかつては15,000人ほどいて、昔は石灰石関連の方でかなり町が賑わっていたのよ。」とのこと。(勝手に工場はもう稼働していないと思っていましたが、まだ現役で動いているらしい)
さらに「あと奥多摩湖までかつては物資輸送用の鉄道が通っていて、その後西部鉄道が買い取ったんだけど、頓挫して今は廃線になっているのよ。」ということも教えてくれて、午前中に見たジブリトンネルはどうもその廃線跡だったようです。

あとで調べたところ、大きな工場で石灰石の採掘・加工を行なっているのは「奥多摩工業」という会社で、その前身の「奥多摩電気鉄道」という会社が石灰石輸送のために御嶽駅 - 氷川駅(現:奥多摩駅)に石灰石輸送用の鉄道を敷設したそうです。その後国有化され国鉄青梅線となったとのこと。

奥多摩電気鉄道が敷設した石灰石輸送用の鉄道区間

ジブリトンネルがあった廃線跡は、もともと小河内ダム建設に必要な物資を運ぶために敷設された鉄道のようです。
ダム完成後は、その鉄道を西部鉄道が買収し、観光地開発をする計画があったそうですが、途中で頓挫したそうです。
もしかしてそのまま開発が進めば奥多摩湖がレジャーパークみたいになっていたかもしれないですね。

奥多摩駅と小河内ダム・奥多摩湖の位置関係

町ができるきっかけ

町が形成されるきっかけは様々だと思います。
その地で産業が興ったり、国や会社が開発したり、ある宗教の本拠地となっていたり。
奥多摩の場合は、産業がきっかけになっているように思えました。

言われてみれば、山間地っていっぱいあるのに、奥多摩の場合は鉄道で来れるのって不思議ですよね。
鉄道まで敷いてしまうという、高度経済成長期の第二次産業の力を見せつけられました。
今じゃビジネスするために鉄道敷くとか考えられない。

とこかを訪れたときに、そもそもどうしてこの町は存在しているのか考えることはあまりありません。今回は、町を歩いて話を聞いて、図らずとも奥多摩の形成理由を考えることができ、心地よい脳の使い方ができた気がします。

結局2日目はゲストハウスの方々と飲んだりお話ししたりで、終電で帰りました。
こんな山奥で「そろそろ終電だから帰る。」と言うのは初めての体験でした。

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