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【連載小説】稟議は匝る 8-2 室蘭 2006年11月14日

もうすでにリストの10名のうち9名とは面談し、一部返済を受けたのであるから、1名ぐらい会えなかったとしても公庫は何も言わない。むしろ、よくこんなに会うことができましたねと驚かれる面会率だ。しかし、山本は、最後の1人に会えないまでも、あの邸宅の持ち主は特定したいと考えていた。

レンタカーの傷は、おそらく別料金、経費で落ちないだろう。などと、やはりおとなしく地球岬からまっすぐ支店に戻っていればよかったと軽く後悔をしかけていると、頂上付近に、目当ての豪邸が見えてきた。

山道を抜けると、広い庭園のように整備された庭があり、皮をむいた丸太で門のようなものが作られている。30cm4方に削られたところには、「飯田正義」と漆のようなもので名前が書かれていた。広い庭の先には、おそらく地球岬から見えた邸宅と、その隣には、大きな丸太小屋がある。「ビンゴ」。

レンタカーのエンジンを止め、山本はドッチファイルを開いた。

たしか、最後の連帯保証人の名前は、飯田正義であったはずだ。だが10人もの保証人の相手をしていると、誰が誰かわからなくなる。せめて、会社が倒産した経緯と、債権額だけ確認しておこうと、山本は社内でドッチファイルの飯田正義のインデックスを開いた。

最初のページ、1番直近の情報だ。1999年12月、公庫自身の記録だ。

1番上に、朱書きで「大きな番犬に注意」とある。

その瞬間、山本はファイルに目を通さずにここまでやってきた自分の軽率さを悔いた。

「しまった、朱書き案件か。」思わず声に出る。

朱書き案件は、まさに公庫が朱書きで警告している内容だ。

これ以上の追及は不要というもので、回収不能先の他、債権回収に危険が伴う場合に記載される。「大きな番犬に注意」という記載も恒例だ。朱書き案件は、保証人追求しなくてよいという免罪符のようなもので、接触するなという意味ではない。

飯田水産、1998年11月、自己破産により倒産。

1990年、当時の経理部長、大塚何某が、会社の預金口座から2億円あまりの金を引き出し出奔。同じ年に進水した大型すり身船の水揚げ不振もあって、資金繰りが大きく悪化。経費削減、代表者の私財提供、遊休資産の処分により、一時経営は持ち直すが、1998年に代表の飯田正義が殺人未遂事件で逮捕され、代表者不在となった会社は、顧問弁護士の手によって自己破産となった。

債権額は35億、うち公庫受託資金は約20億円。

代表者、かつ連帯保証人の飯田正義は、現在服役中。

「殺人未遂」。「服役中」。なかなかお目にかかれない迫力のある文言に山本は頭を抱えた。

さすがに面会はあきらめようと思った刹那、バックミラーに白髪の老人がこちらを睨んで立っているのが見えた。一瞬で血の気が引くとはこのことだろう。山本の背中がざわりと粟立った。

「誰だ、車から降りろ!」

老人の誰何の声に山本は、あわてて、シートベルトを外し、車を降り、一礼した。

「誰だ、お前、」

重ねられた言葉に山本はなるべく腰を低くして応えた。

「私、農林銀行の山本と申します」

銀行の言葉に老人の顔がますます険しくなった。

「公庫とは縁を切ってある、帰れ」

「いえ、私は、農林銀行のもので、公庫受託資金の件で参りました」

「公庫も、農林銀行も一緒だ、早く帰れ!」

追い払うように片手を振りながら、だが、白髪の老人は、山本に近づいてきた。よく見ると、その老人は、手に大きな斧を持っている。

「失礼ですが、飯田正義様でしょうか?」

踵を返したくなるのを抑え、山本は問うた。

「人に名前を聞くならまず名乗れ」

やはり、この老人が飯田なのだと思うと同時に、山本は、最初に名乗ったはずだが、と思ったが、そんな雰囲気ではなかった。改めて名刺を出しつつ自己紹介する。

「失礼しました、私、農林銀行の山本と申します」

「会社は当の昔に倒産した。それ以来、農林銀行と話したことはない、今更何の用だ。」

うろんな目を向けられ、山本は前任者たちが「朱書き」を見落としてなかったと悟った。

ここまでのこのこやってきた間抜けは自分が初めてらしい。であれば、ここまで来たからには職務を全うしてやろうと山本は変な負けん気が顔を出し始めた。浮足立った自分をなだめ腹に力を入れる。

「はい、本日は、連帯保証人としての債務のご返済について」

「連帯保証人だと、会社がつぶれて、10年以上、今更、保証債務もないだろう、こちらから話すことなどない、いいから早く帰れ」にべもない飯田の言葉にも、山本はいつものように食い下がった。

「そう言われても、私も子供の使いではないので、ただ帰るわけには参りません。・・・ちなみに、この邸宅は、社長のご自宅ですか」

探るような山本の言葉に、飯田が血色ばんだ。

「なんだと、この自宅を押さえる気か」

「事を荒立てる気はありませんが、社長に帰れと言われれば、私もやりようがなくなります。まずは立ち話もなんですから、お宅に入れてくれませんか」

軽い調子で言葉を継ぐ山本に、飯田は何やら険しい表情でしばらく考え込んでいるようだったが、それは、ほんの一瞬のことだったかもしれない。

「そっちは女房の家だ、俺の家はこっちだ、ついてこい」

そういうと、丸太小屋に向かって歩き出した。

その背中を追いながら山本は、いや、やはりおとなしく帰るべきだったか?と己の天邪鬼な性質を恨めしく思った。言われるままに丸太小屋に向かって歩き進めた。

丸太小屋は、外壁は正しく丸太であるが、入り口の扉は、重厚な作りになっていた。

意外に金がかかっているのかと山本が考える間もなく、老人はまっくらな小屋の中に突き進んでいく。窓もなく、ほとんど何も見えない状態で、山本が立ち往生していると、風のせいか入り口のドアが音を立てて閉まった。

入り口からの日の光でようやく見えていた室内が本当の暗闇に包まれる。

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