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僕はどう生きるか。

生きるとは・・・

アカデミー賞を受賞した、宮崎駿氏の『君たちはどう生きるか』を見て、僕は自分自身の生き方を再度考えてみた。そもそも、『生きる』とは何か。医学的には呼吸ができ、水分を補給できれば”生きる”ことはできる。しかしながら、それは”命”を絶たないだけであり、”生きている”とはかけ離れている気もしなくはない。無論、病気などは除外している。

では、『生きる』とは何か。辞書には『人間・動物などが、生命があり活動できる状態にある。生命を保つ。生存する。』と書いてあるが、これは僕が上記で書いた内容である。
僕が考える『生きる』とは、『”死”を実感しながら生存すること』だと考えている。なぜなら、時間は有限であるからだ。無限に感じるような世の中であるが、命には終わりがある。少なくとも、現代の医学では不老不死は不可能だ。人間は時間に限りがあることに気がつくと、本心で動く生き物だ。例えば学校のテスト。試験2週間前から勉強する学生はほどんどいないが、1日前になると一夜漬けでも良いからと慌てて教科書を読み始める。これは時間の終わりが見えているからだ。
この現象は、先送り症候群とも呼ばれている。直前になり『もっと前からやっておけばよかった』と後悔した経験はないだろうか。僕にはある。そして、この考え方は”人生”にも同じように言えると考えている。死ぬ直前になってから『あぁしておけば良かった』と後悔する人もきっといるだろう。僕も同じような感情になるかもしれない。だけど、今からその後悔を少なくすることはできると思うし、だからこそ”どのように生きていくか”を真剣に考え、有意義な時間を過ごすための努力をするべきだと考えている。
※”有意義な時間=『生きる』中で後悔が少ない時間”と定義する

そこで今回は、人間が生きていく中でとても重要な『仕事・友人・恋愛・家族』の4つの要素から『生きる』について考えてみたいと思う。


仕事とは

僕が考える仕事とは、『人生の暇つぶし』だと考える。僕は3年間、人材会社に勤めていたので、求職者の方とコミュニケーションを取ることが多かった。それらの経験や知見から述べさせて頂くと、仕事をする目的は大きく分けて2つに分類されると考えている。1つ目は生きていくためのお金稼ぎのため。2つ目は生きがいを感じるため。


生きていくためのお金稼ぎ

仕事とは、誰かに貢献し、その対価として賃金を得るものだ。その為、自然と給料が発生する。給与は、生活をしていくための大きな源泉となっており、給与ベースで生活が決まっている人も多い。より良い給与を貰うことを喜びとしている人も多いのが事実だ。それだけプライベートでやりたいことの幅が広がるからだ。

生きがいを感じる

一方、給与も大事だが生きがいを感じることを目的としている人も一定数いる。僕の感覚的には、全体の10%ぐらいの人間はこっちを主としている印象だ。そもそも生きがいを優先している理由としては、『どうせ働くなら楽しく働きたい』や『給与よりも経験を取りたい』という考え方が多いと感じている。24時間のうち概ね10~12時間は仕事に関わっていることを考えると、1日の半分は仕事に関わっている。この時間を有意義に過ごせないと、結果的に人生を棒にしていると感じるものだろう。だからこそ、給与も大事だが、長い時間幸福度が高い状態を実現したいと考え、やりがいなどを優先している人もいる。


これら2つは、どちらかが正解というものではない。人には人の価値観があり、それを否定することもできなければ、強要することもできない。それぞれの考えを尊重する以外ない。ただ、僕には後者の思考がマッチしている。少なくとも20代はこっちで良いと考えている。転職マーケットをずっと見ていたからこそ分かるが、20代はとにかく希少価値が高い。30代・40代となった時に、『これやってみたい』と思ってもなかなかチャレンジができないが、20代はそれができる。というより世の中的に許されている感じがある。だからこそ、僕は20代の時はお金よりも経験を優先するべきだと考えているし、お金を稼ぐためだけの時間にしない方が良いと考えている。そして、20代後半から30代前半かけ、自分の強みを見つけ、30代以降の戦場を決めた方が良いと考えている。

僕自身は、3年間勤めた人材会社の営業を退職し、今後は自社ECの運用業務に従事することになった。これまでの営業では全く経験することがなかったマーケティングやクリエイティブな領域にも着手することになる。もちろん、前職に不満はなかったし、居心地も良かった。それでも今後のキャリアを考えた時に経験を取りたく、一歩踏み出して違う畑に挑戦することを決めた。

『生きる』中で仕事は、人生の大半の時間を締めている。人生100年時代と言われている今日において、半分以上の時間を仕事に費やすのは、もはや暇つぶしだと考える。仕事がこの世に存在しなかった場合、僕たちは何をするのだろうか。想像ができないぐらい、仕事と人生は密接な関係なのだと僕は思う。また、働く義務はないが、仕事を選択する人がほとんどだ。だからこそ、どんな仕事をするのか、誰と働くのか、どこで働くのかなど、自身に適正な環境と業務を真剣に考えた方が良いと思う。それが人生の幸福度に繋がり、『生きている』を実感でき、有意義な時間を過ごすことができると考える。


友人とは

僕が考える友人とは、『無意識に支え合える人』だと考えている。小学1年生のとき、「友達100人できるかな」という歌を歌った経験がある人は多いと思う。しかしながら、今考えると「友達って100人も作る必要があるのか」と疑問に思う。僕自身は、せいぜい10〜15人ぐらいいれば十分だと思っているし、なんならいつも会う友人は片手に収まるぐらいで良いと考えている。いわゆる「浅く広く」ではなく、「深く狭く」の関係を築ける状態がベストだと考えている。

では、どのような人間を友人にするべきか。僕は『腑を剥き出しにできる』人間だと考えてる。お互いにほとんど隠し事もしないし、否定もしない。強要もしない。だけど間違っている道に進んでいるときは本気で怒るし、本当に沈んでいる時は何も言わずに支えてくれる。そんな人間が身近に一人でもいたら、その人を大事にするべきだと考えている。
僕は幸いなことに、そういった友人が数人いる。大半は高校の同期だ。同じ修羅場を潜ってきたからこそ、同じような思考になっているし、一緒にいてストレスが全くない。助けが必要な時は、誰も何も言わずにすぐに駆けつける。そんな、アイコンタクトのような意思疎通ができる関係であるのが、友人としてベストなのだと思う。僕は今の友人たちは今後の人生でもずっと一緒にいるのだと思し、大切にしていきたいと心から思っている。

『生きる』中で友人は、居場所をくれる存在だ。人間関係を築くのはとても難しい。その中でも友人は『長い年月をかけて築き上げてきた関係』であると僕は考えている。それ故に、お互いの腑を見せ合う覚悟も必要になるが、それができればきっと心の支えになると思う。だからこそ、生きていく中で一人でも良いから友人を作るべきだと思うし、人生の幸福度が上がり、有意義な時間の過ごし方ができると考えている。


恋愛とは

僕が考える恋愛とは、『人生における最も難解な試練』だと考えている。週刊少年ジャンプで連載されていたバクマンの第1話に出てくるセリフの中に、「人生における最大のイベント、最高の生き甲斐は恋愛である」とある。異性が異性に好意を抱く、それもどちらか一方ではなく双方が同じ状態になる。これほど難しいことはこの世にないと思うほど、僕は難しいものである思う。というのも、僕は恋愛が苦手だ。下記に過去の恋愛の話を書いたので、よければ読んでみて下さい。

しかしながら、バクマンのいう通り恋愛はするべきだと思う。恋愛をすることで結婚へと発展した場合、その人の人生は激変するからだ。それは、良いことだけではないが、生命の誕生、他者への愛情、資産の運用など、1人では経験することができない未知の経験ができる。恋愛は、その人の人生を激変させる”きっかけ”という魔法のようなものでおり、一度は経験はしておくべきだと考えている。
特に20代の間は失敗してでも、パートナーが見つからなくても、手当たり次第行動に移すべきだと考えている。なぜなら、30代以降は感情よりも思考が優先してしまう可能性が高いと考えているからだ。

世の中にはごまんと人が居る。自分なんかミジンコのようなちっぽけな存在だ。その中で二人が運命的に出会うのは、天文学的数値に近しいと言っても良いだろう。そのような中で、「あっ、この人が運命の人だ」と気が付く人が何人いるのだろうか。
僕は、恋愛は運9割、勇気1割だと考えている。「あっ、この人良いな」と思うのは、きっとあなただけではない。他にも沢山の人が好意を抱くのが自然である。そして、この場面では2つに分かれると考えている。1つ目が、「何がなんでも付き合う」と考えるパターン。2つ目が、「自分には無理だ」「今はいいや」と考えるパターンだ。1つ目の思考になる人は、そのまま突き進めばいいと思うので特に何も語ることはない。一方、2つ目に関しては、一歩踏み出す勇気が必要だと思う。上記でも書いた通り、恋愛は運9割、勇気1割だ。相手が自分に好意を抱くことは、全人類の中から考えると確率はとてつもなく低い。だからこそ、失敗を恐れずにガツガツいくべきだと考えている。ダメならすぐに切り替える。引きずってしまうのは経験値が低いからだ。決して良い方向に進まなかったとしても、この経験値が必要なのだと僕は考える。なぜなら、人生における恋愛のキャパシティが分かるからだ。
30代になると、感情よりも思考が先に出てくるようになると考えている。30代は20代よりも世の中のことを知っている。知りたくないことも知っている。それは人間として生きていく世の中の情勢や結婚すると待ち受けている現状など様々だ。故に、純粋に「好き」という感情よりも「あの人と結婚しても大丈夫かな」という思考が先にくる生き物だと僕は考えている。無論、この思考が悪いとは思っていないし、全員が該当するとも思っていない。しかし、人間は20代後半を境に、生物的に衰退していく生き物だ。それは肉体的・精神的・思考的に全てだ。生存していくために、より良いパートナーを見つけ子孫を残すことは、生物的にごく普通のことだ。しかし、30代・40代になるとそれが難しくなっていく一方だ。
生物的に20代が旬である事実は変わらない。だからこそ、20代のうちに沢山行動し、沢山失敗し、沢山パートナーを作るための行動を取るべきだと僕は考えている。その行動は、自身の恋愛に対する温度感を把握するものになる。つまり、人生における恋愛のキャパシティがどの程度なのかということだ。

『生きる』中で恋愛は、必須事項ではない。また、30代以降でも結婚はできるし、子供を授かることもできる。ただ、生物的に一番旬なのは20代だ。だからこそ、20代のうちにパートナーを探し、結婚・出産を経て、家庭を築いていく。これを実現する為の行動を沢山するべきだ。それでもダメなら”恋愛をしない”という選択もできる。この”恋愛をしない”という選択は、沢山行動した結果の答えだから、結果的に”生きている”中での後悔は少ないものになると僕は考えている。とにかく、気になった人がいたらアプローチしていくべし。それが、有意義な時間を過ごす秘訣になると考えている。


家族とは

僕が考える家族とは、『見返りを求めない関係』だと考えている。どこまでを家族と定義するかによって少し変わってくるかもしれないが、今回は両親と兄弟・姉妹までにしておこう。
人間は母親から生まれてくる。それは、本人の意志ではないものだ。だからこそ、親は子供を助け教育する。一方、子供は親のありがたみを感じるに時間がかかる。つまり、親は子供からの見返りを求めず、ひたすらにGiveをしていくものなのだ。そこには、子供の”やりたい”が当然あり、それをどこまで許せるかも含まれる。または、”これはやらせておいた方が良い”と考え、習い事を幼少期から通わせる親もいるだろう。子供にはその良さが分かっていないケースが多い為、”なぜ自分はこの習い事をしているのか”の答えに達することはほぼない。

親の教育があることが前提に書いていたが、それが前提になるかは必ずしもそうではない。母子家庭・父子家庭のケースもあり得るし、子供の教育を全くしない親もいるだろう。だからこそ、一概に上記で書いたことが全て該当するとは思っていないし、むしろ子供に習い事をさせることができるのは、金銭的に余裕があるケースが多い。その為、親に感謝をすることができない人間や、反骨心を持つ人間がいることを一定理解ができる。
ただ、成人するまで(18歳まで)一定の教育を受けさせてくれたのなら、僕は両親に感謝をするべきだと考えている。このことに気が付いたのは18歳の頃だった。僕は幸いなことに、やりたいサッカーをずっとやらせてくれていた。朝早くから弁当を作ってくれた母親、サッカーに必要な費用を稼いでくれていた父親、僕は両親がいたからこそサッカーに真剣に打ち込むことができたのだと、18歳のサッカーを引退した時に気が付いた。言葉で表すことが照れ臭くてできない僕は、毎年父の日と母の日、社会人になってからは賞与が入るときにはプレゼントをすることを習慣化している。これでも全ての恩を返すことができたとは全く思っていない。それぐらい親は偉大なのだと僕は考えている。

『生きる』中で家族は、1番身近な存在だ。その上で、家族とはどのような関係なのかを考えると、それは『見返りを求めない関係』だと上記で述べた。親は子供の”やりたい”を尊重する、子供はその受けた恩を返していく、このような関係が成り立つと、良い関係性が成立すると僕は考えているし、生きていく中で最も身近な関係であるからこそ、このような関係性を求めていくことが、有意義な時間を過ごす鍵になると考えている。


最後に

僕はどう生きるか。

今回は、仕事・友人・恋愛・家族の4つの視点から書いてみたが、僕が考えることが正解だとは全く思っていないし、この考えは今後アップデートされるものだと考えている。

これから僕自身、様々な経験をしていくと思うし、後悔ない人生を歩めるかは分からない。それでも、少しでも後悔をなくし、有意義な時間を過ごし、生きていきたいと考えている。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

たくや

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