フィンランド・ワーホリ回想録 #1
吉野です。これから、現在形で自分のワーホリを綴っていきます。
フィンランドで感じた私の心情の変化をお楽しみいただければ幸いです。
10/12:日本出国
眠い。今日はフィンランドにいよいよ出発する。でもその前に高校で授業をすることになっていた。やばい、その準備もまだ終わっていない。書類を印刷して、印鑑を持って。はあ。パスポートも忘れないようにしなきゃ。Resident Cardもある。
昨日は準備を大急ぎでした。朝6時に起きて準備を初め、11時くらいに7割終わった。「あれ、これ余裕なのでは」と油断し、14時になった。9割の準備が終わったところで、それがまだ4割であったことに気づく。
準備が完璧な状態を10割だとしたら、そんなものは準備が0割の時点で想像できるわけがない。人間が想像できる範囲なんか、今いる場所から2、3歩先までに過ぎない。でも、だからこそこれから私はフィンランドに住む。フィンランドの生活は、どうせ寒い場所での一人暮らしにすぎない。そう想像している。でも、たぶんその想像は、日に日に拡張される。そう信じている。
授業を終え、中学校の頃の友達のMが迎えに来てくれた。Mとは中学校の頃からずっと一緒に過ごしてきた。一緒にいて当たり前の存在だった。部活は一緒にさぼったし、塾を休む言い訳を考えた。半年に過ぎないが、当たり前が欠けることになるのは辛いのだろう。
空港には、特に仲のいい親友と、母親・高校生の妹が来てくれた。一番寂しそうなのは妹だ。妹とはとても仲が良く、よくドライブに出かけるほどであった。曰く、空港は寂しい場所だという。出発ゲートを超えると、何があってももう会うことはできないルール・制度である。別にとりわけこの制度に文句は全くないが、人間が全体の利益のために定めた「制度」によって会えなくなるという事実に、どこかはかなさを感じるのかもしれない。
出発ゲートを超えてからは、いよいよ決心がついた。自分の最大限の成長のために動こうと思った。ここでは何するべきか。そうだ、動画を回そう。YouTubeにJALでヘルシンキに行くという動画を出せば、それなりに再生されるかもしれない。(結果、2000回再生を超えるという私史上空前のヒット作となった。)
搭乗し、いよいよ離陸だ。何か変だ。急に不安になってきた。フィンランドで暮らしていけるのか。孤独に耐えられるか。トナカイに蹴られて死なないか。近距離の未来が見えない不安が私を襲う。同じ種類の不安は、南アフリカに行った際にも感じた。治安が悪いと言われていた国で何が起こるか未知数だったからだ。近距離の未来が見えない不安、これは視力が0.1以下の私にとって、公道で眼鏡を突然外して歩くような感覚である。最初は、見えているときの延長で進める。しかし、うっすらとしか見えない事実をだんだん自覚し、恐怖を覚えはじめる。少し先が見えないということは、私にとって本当に怖い。
しかし、尊敬している方がこう言っていた。「不確実性に飛び込めることが本当の行動力である」と。実際、公道で眼鏡を外すような恐怖は幻想である。少しすれば、視界は晴れる。ただ、主観レベルではものすごく怖い。この人間のバグのような感情を乗り越えられる行動力をつけたい。
10/13:入国・入金・入居
JALのエコノミークラスは世界一である。世界の機関も実際そう認めている。日本が外国である人がそういうのだから、それを日本人が受けたらその感動は際限がない。その世界一のゆりかごに揺られ、気が付いたらノルウェーから少し北の上空にいた。
程なくして私の飛行機はヘルシンキのヴァンター空港に着陸した。
JALの機内は、日本人のCA、日本人旅行者・出張者、日本製の製品などドメスティックな要素で満ちていた。そんなぬるま湯に浸かっていたせいか、フィンランドの物理的に冷たい空気、そして入国審査の冷たい歓迎は余計に冷たく感じた。なるほど、これがサウナが必要な所以か。
降りてくる乗客の中に、意外と日本人が多いと感じたが、その大部分はトランジット客であった。入国する人はほとんどおらず、帰国するフィンランド人すらほとんどいなかった。私と同じタイミングで入国のレーンに進んだのは、私ともう数人。入国審査官は、私をもてなす時間をたっぷりもっていることが決定的になった。
入国審査は、どうにか終えた。思いのほか短時間であったが、準備に自信がなかった私にとってどんな質問も易しくはない。家の住所を聞かれた。これは間一髪であった。なぜなら、成田空港の中で住む場所が決まっていたからである。その契約書を見せたら入国が叶った。
しかし、入居までには入金をしなければならない。先方は海外送金サービスのWISEでの入金を案内した。これは非欧州住民にとって、とてもありがたい。WISEであれば、送金手数料はとても安いし、すぐに完了する。
私は、入国後、幸運にも見つけたPriority Passが使えるラウンジで入金作業を済ませることにした。ジュース類は、コーラかスプライト。「これからこんなものはいくらでも飲むんだろうな」と思った。なので、コーヒーと水のみを飲んだ。しかし、愚かな選択だった。程なくして分かったのだが、フィンランドでは、スーパーででさえコーラが360円ほどする。そんな高級な飲み物を飲まずに出てきてしまった。ただ、今は数年前ほどこのような事実に落胆はしない。客観的に360円の価値があるものでも、それが主観的に私にとって360円の価値がないということを理解できるようになったからである。私の機会損失は、200円といったところだろうか。(なので、結論は結構悔しい。)
ラウンジ内で入金を済ませ、私は新居へ向かった。
UBERで4000-5000円ほどの距離だった。私は乗り物オタクであり、ケチなので、乗り物を駆使してどうにかこれを圧縮したかった。しかし、重いスーツケースを2個引きづっている。メトロを使うコースは、一度ヘルシンキ市内に出て、そこから乗り換えになるというかなりのハードコース。最寄り駅に、エレベーターがあるとは限らない。考えた結果、UBERで1600円の距離まで地下鉄で行き(500円)、そこからUBERを使うというもの。1900円をケチるのに、ラウンジで2時間かけた。時給950円。最低賃金以下だ。自分自身を違法労働させてしまった。私は、1円をケチるものは100円に泣くということを心に留めておいている。1円までケチるようになると、より大きな利益を失う。おそらく、これまでに1円をケチろうとした結果、合計10,000円は損をしている。
家は、マンションの一室をルームシェアした。その部屋は値段(光熱費込みで78,000円くらい)のわりに、とても広かった。実家のLDKと同じくらい広い部屋が、私の住処になった。
たんす、デスク、テーブル、セミシングルのベットが備え付けられている。のちに、ルームランプとデスクライトが一体になったライト(3900円ほど)と電気ストーブ(3800円ほど)を買った。部屋が広いわりに、明るさと温かさが足りないと感じたからだ。私は部屋が暗いとテンションが下がる。小学校4年生の時に、日光を当てられたインゲン豆はすくすくと育つということを学んだ。私も豆の気持ちがよくわかる。
同居人は他に4人いる。家を最初に案内してくれたフィンランド人の同居人は、かなりドライな人だった。この時は少し壁を感じたが、のちに打ち解けた。それからあまり経たないうちに、彼は典型的なフィンランド人であったと知る。フィンランド人は、とてもシャイだ。初対面には距離を取る。
落ち着いた後、買い物に行く。物価の高さに驚いた。何もかも高い。絶望した。ここでは、私はかなり貧相な生活を送らなければならないのではないかと感じた。
私の脳内プログラムであるケチOSは、自分のCPUとメモリをフル稼働して金勘定をはじめた。日本にいた方が、絶対に良い暮らしができる。好きな仲間や恋人とも一緒に入れる。その利得を、物価の安い分に加え、親からの支援を引き、奨学金を引き…、あれ、大損じゃね?と、私のケチOSは結論づけた。私は、自分の選択が誤りだったのかと、自分の脳みそを働かせ続けて考えた。
第1週目:価値観の変化
しかし、数日たち、考えが変わった。
まず、幸せはお金がなくても手に入るということに気が付いた。
フィンランドは、静かだ。森のささやきと鳥の鳴き声がいたるところで聞こえる。また、水道水はどのミネラルウォーターよりもおいしい。さらに、図書館は充実。遊歩道もどこにでもつながり、ランニングやハイキングが楽しめる。そして(どれも少なくとも日本よりは)家が広い。
森に囲まれ、きれいな空気の中できれいな水を飲み、知的創造に励み、心を満たす。そろばんでは計算できない、幸福の形がある。それに気づくことができたとき、フィンランドをとても好きになった。
私のケチOSは、ケチOS2.0にアップデートした。私の価値観の大規模アップデートだが、やっぱり私はケチだ(笑)。お金を崇拝することはやめたが、最も安い店で、最もコストパフォーマンスの良いものを買っている。
また、フィンランドでプライスレスな経験をしようとも決意した。
多額のお金をかけたが、やっぱり来てよかったと思える努力をしようと思った。その鍵は、今の自分が握っている。
ひとまず、私のフィンランドでの冒険は続く。
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