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人生とは、盲目の旅路である《人生における”壁”の役割とは》

  人生とは旅のようなものである

人生とは、旅のようなものである。この文句はとても頻繁に用いられています。みなさんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。私も、人生は旅のようなものだと心から思います。我々は、自分たちに備わる二本の足で実際に様々な場所を訪れます。実際これが人生の「旅感」を高める最大要因だと思います。さらに、我々はいろいろなライフイベントが存在する時間軸を旅しています。その時間軸には、上り坂もあれば、下り坂もある。このイメージはみなさんも容易に持てるのではないでしょうか。

では、どんな旅路なのでしょうか。

私は人生は盲目の旅路であると思います。盲目とは、目が見えない状態で、ということです。一体どうしてそんなふうに思ったのか。私がこの考えに至ったのは、”困難という壁”についての考えを膨らましていたときでした。困難が立ちはだかっている状態はしばし「壁にぶつかる」という比喩で表現されます。それは、壁の容易には壊せないという性質が困難のイメージと共通しているからだと推測されます。

困難の壁は目には見えない。

しかし、現実の壁と困難の壁には大きな違いがあります。現実の壁は目に見えますが、困難の壁は目には見えないのです。なので、人は困難にぶつかることを絶対に避けられないのです。

壁は進路を変えるために存在している。

では、壁にぶつかってしまったらどうすればいいのでしょうか。簡単です。進路を変更すればいいのです。別の道からならその壁に当たらずに前に進めるかもしれませんし、他の目的地が見つかるかもしれません。しかし、かつての私を含め、多くの人が壁にぶつかることそれ自体を恐れ、避けてしまいます。

壁とは、我々が持つ唯一のナビゲーション。

自分は何ができるのか。何が正しいことなのか。どこに向かえばいいのか。そんなことは進んでみなければわかりません。そして、私達が間違った方向に進もうとしたときに、そっと正しい進路を教えてくれるのが壁なのです。壁はあなたが持つ唯一の、完璧に信頼できるナビゲーションなのです。

壁は見えない。だから人生は、盲目の旅路。

なぜ人生の旅路は盲目なのか。それは、人生において、どこに困難の壁があるのかがわからないからです。多くの人は視力を有し、目が見えます。目を開ければ、現実ではどこに壁があるのかを正確に確かめることができます。しかし、人生を旅路と捉えたとき、あなたに視力はありません。どこに壁があるのかも、次に何が起こるのかもさっぱりわからないのです。

見えない。ではどうしよう。

人生とは盲目の旅路である。私がここに込めたメッセージは2つあります。

その1:もっと壁を頼ろう。

一つ目は、もっと壁を頼るべきだということです。頼る、は、恐れるな、で代用可能であるかもしれませんが、壁とポジティブな関係性を作りたいとの想いから、頼る、とここでは表現しています。我々は壁を過剰に恐れています。常に壁にぶつからないことだけを考えていると言っても過言ではありません。これは私なりの考えですが、我々は幼い頃、部屋中を走り回り、頭を壁にぶつけて痛い思いをしてきて、壁に当たると痛い思いをするという学習をしてしまったのだと推測されます。我々は頭の中で、”困難”と”壁”を結び付けています。そして、もし壁を避けるものだと考えているのだとしたら、不思議なことに、困難も同じように避けてしまうのです。困難という壁にぶつかることは、多少の痛みは伴うものの、それ以上に我々のためになることです。壁は我々の唯一のナビゲーションなのですから。壁は恐れず、そして頼りましょう。

その2:過剰に見えないものを見ようとしない。

前の記事でも少し触れましたが、我々に決まっている未来などありません。なので、未来を見ようとしても未来など見えるはずがありません。この点でも、我々は盲目の旅路を歩んでいるのです。前にある壁はおろか、何もかも見えないのです。見えない未来を見ようとすると、幻影を見ることになります。その幻影は、あなたの恐れや不安、期待や夢などに大きく依存した、全くもって主観的なものです。たしかに、夢を見ることは楽しいですし。長期的な計画を立てるのは大切なことです。ただし、存在しない未来に翻弄されることはやめましょう。人生という旅において、我々は盲目であるということを受け入れましょう。そうすれば、執拗に見えないものを見ようとしなくなると思います。

人生とは、盲目の旅路である。この言葉が少しでも、みなさんの壁にぶつかることの恐怖を弱め、人生を身軽なものにできたら幸いです。



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