TOKYO COMPLEX「シブヤ・シティ・ボーイ」

地方、特に観光地や温泉地などはその土地から発せられるエネルギーを享受し、リフレッシュし、元気になると考えている。
他方、東京と言う街は人々のエネルギーを吸収し成立している街だと考えている。
特に「渋谷」という街は若者のエネルギーをどんどんと吸収し、渋谷という街を成立させているに違いない。

情報の発信地として渋谷が注目されるのは情報の発信源である若者が多いから。最近はその役目を原宿が背負ってきてはいる気がするものの、未だに渋谷は若者の街というブランドを強く持っている。
これは今に始まったことではなく、いつの時代も渋谷は流行を作ってきた。

その代表例の一つが「渋谷系」と呼ばれる音楽ブームだろう。
渋谷のHMVで特集が組まれたアーティストを総じて「渋谷系」と呼んだ。
フリッパーズギターから始まり、その後ソロ活動を始めたコーネリアスと小沢健二。渋谷系の女王がピチカートファイブの野宮真貴ならば、渋谷系のプリンセスはカヒミ・カリィといったところか。
そのほかにもスチャダラパーやかせきさいだぁといったヒップホップなんかもそうだ。伝説とも言えるフィッシュマンズやGREAT3。エアギターのイメージが強い金剛地武志が率いるYes,Mama OK?など、あげたらキリがない。
音楽におしゃれ要素を盛り込んだこの渋谷系は瞬く間に大きなムーブメントとなった。

渋谷系について語るにはまだまだ僕の知識が十分に足りていないのでここらへんで割愛するが、僕は渋谷系という音楽が好きだ。
渋谷系と言う音楽が流行ったのは90年代前半。
89年生まれの僕は当時6,7歳。渋谷系という音楽を認知していたことは恐らくない。
では、なぜ好きなのか、というと親の影響だ。母親が小沢健二の大ファンで幼少期からよく車の移動中などでダビングしたテープを聴いていたものだ。
それが刷り込まれていたことが大きな原因だ。
また、僕が中3の夏に失恋をしたことで音楽にハマるのだが、その時に知ったアーティストの多くが渋谷系の影響を受けていたのも大きい。
好きなアーティストのルーツを探ると小沢健二やコーネリアスにぶつかるのだ。
高校生特有のイタさで言えば、当時の流行に乗ることなく、人と違ったものを愛でる、といった行為の結果、より渋谷系を愛でていたに違いない。今思うと相当恥ずかしい。

そんなこともあり、僕は必然と渋谷、という街に対する憧れを醸成していた。そして、いつかこの目で見てやろう、という野望を胸に秘めていた。
その野望は19歳の2月に叶う。受験だ。
午前中で受験は終わったため、飛行機のチェックインまでには十分な時間があり、東京観光をすることに。もちろん、渋谷へと行く。

慣れない乗り換えに苦戦しつつ辿りついた渋谷は圧巻だった。
まるで絵本で見た世界がそのまま目の前に現れたよう。
それほど渋谷は僕にとっては幻想的で非日常で非実在の街という認識だったのだ。
想像していた以上に人の多さに圧巻され、賑やかさに驚いた。
その後、目的であるHMVへと向かう。

正直に言おう。
期待はずれだった。

当時は初めての渋谷、ということで浮かれてはいたものの、渋谷系が全盛だったころのHMVはすでになく、移転したHMVであり、さらに言うと品ぞろえも当時、高校時代の休みの日や予備校の帰りに寄った札幌ステラプレイスにあるHMVとあまり変わらなかった。

渋谷と言う街は若者の街であり、若者のエネルギーを吸収して成り立っている街である。そのため、街の様子は常日頃変わっている。
当時、僕が憧れを抱いていた「渋谷系の渋谷」はそこにはなく、「2009年時点の渋谷」が存在していた。
至極当然な事実ではあるものの、北の大地から憧れを抱いていた青年には少々残酷な事実でもあった。

東京、という街にいることに自惚れていたが、実はここ知れずに落胆をした気持ちも抱いた午後の渋谷。

そして、僕はこれから何度も渋谷と言う街にコンプレックスを抱くこととなる。

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