【備忘録】私的な勉強の方法と勉強から得られたこと

最近、勉強が楽しくなってきました。その勉強方法がいい感じなので、自分の備忘録がてら残しておこうと思います。

①勉強を仕事にする。仕事で勉強をする。


例えば今やっている仕事はいろいろなことを勉強する必要がありますし、勉強をすればするほど、それを活かせる場があります。それは職場が素晴らしい、というのもありますが、それと同じぐらい、私自身が頑張らなければいけないということを意味しています。このように一長一短ではありますが、仕事で「これぐらいだったら頑張ればできるな」という範囲であれば「やります」と言い切ってしまえば、意外とできるものだ、ということがわかりました。もちろん、職場の方々にはこれで受け入れてくれることに対してかなりの感謝をしています

②副業で勉強をする。


私は副業でブログを書いたり、漫画を書いたりしています。それにちょくちょく株をやったりもしています。こうなってくると、意外とすべてのものから学ぶことが多くなります。
例えば以下のような感じです。

  • 映画を見る:ストーリー展開から学ぶ(直接的に言うとパクる)ことができる

  • 広告を見る:アフィリエイトへの導線を学べる。広告の技術動向を学べる

  • プログラム:絵を生成するAIや文章を生成するAIを学べる

学べる、というのは実益につながることでモチベーションが上がり、更に「どこを学ぶべきか」という視点を持つことに繋がります。特に最近は自動生成AIの発展がめざましく、とてもおもしろいものがあります。さらにそのAIのモデルついて学ぶことができますし、それが本業につながるところもありとてもおもしろいです。副業からはVBAやpythonのプログラミングを学んだりもしました。まるでそれらが両輪のようになってくれて、とてもおもしろいです。

③動画で勉強をする


文章を書いている私が言うのもおかしな話かもしれませんが、私は文章を読むのがあまり得意ではありません。特に堅苦しい文章は右から左に流れていってしまいます。読むのに体力を使うので動画のほうが見やすいです。動画であれば2倍速ぐらいで眺めても内容を理解して、処理して、好奇心も続きます。

ついこの間、株式の勉強のために、海外の情勢を学ぶためのレポートを図書館で借りてみました。しかし、これが全く頭に入りません。そもそもカタカナが苦手であるのもあって、余計に意味が頭の中に残りませんでした。

しかし、動画であれば、なんとなくでも意味を理解できますし、そして、強制的に次に次にといろいろな情報が入ってきます。それで外観は掴めますし、それで十分だと思いました。

④同じ教材を必死で勉強したりしない。

私が最近感じているのはこの面です。昔は「いい本を買った。この本を一冊最後まで理解するぞー」と思っていました。必死に数式や言葉の意味を調べて、その本の意味を理解しようとしていました。なんなら暗記をするまで自分の頭の中に残さないと意味がないとすら思っていました。

しかし、それらの時間から自分の中に得られたのは、ごくごく僅かな経験だけでした。多分、一冊の本につき、1ページ分ぐらいの文章量しか頭の中に残っていません。それではあまりにも、時間の無駄です。(もちろん無駄が悪いものであるとは言えませんが、本来獲得したいものに対して現実があまりにも少なすぎたのです)

ですので、もしも本を読んでいて意味がわからなかったから、仮に分からなかったとしても、次に行く、ということがとても需要なのだということを学びました。そして、特に重要なことは次の⑤です。

⑤本や動画、プログラミングや工作、そして投資というインプット・アウトプットを教材と考える

先程の④とつながるところでもあるのですが、インプットするもの=教材はなにもインプットだけではありません。アウトプットも何より貴重な体験であり、インプットになりえます。

最近は、特にこのように考えています。

  • プログラミング:実際にコードを書くがアウトプット

  • 投資:実際に株を買うことがアウトプット

  • 漫画:実際に書くことがアウトプット

そして、アウトプットをする際に何より大切なのは次⑥です。

⑥簡単な方法で考える

これが私がアウトプット=勉強でもっとも大切だと考える方法です。とにかく、もっとも簡単な方法で考えること、これはきっと何でも同じなのだろうと思います。とにかくアウトプットをする際には、一足飛びではなく、自分が分かる範囲で、モチベーションが上がる範囲の類似の問題を考えます(例えば、機械学習による株式の予測をしたい、ということであれば、サインカーブの予測をする、ような方法です)。

おそらく文章のアウトプットであればツイッター、映像であればtiktokということになるのだろうと思います。そうやって一つ一つ改善をしていくことで、より楽しく学べるのだろうと思います。

補足:⑦とにかく目の前の15分に集中する。

いくらカフェに来たとしても、時間的にゆとりがあるとしても、時間を一気に消費することはできません。結局のところ、眼の前の時間に集中するしかありません。それでいうと私にとっては15分がちょうどよいスパンであると感じています。

15分集中と決め、アラームをセットすると、15分でアラームがなったときに「あ、集中してた」というふうな感覚になります。さらに15分のアラームと1時間のアラームなどを別にセットしておき15分4回繰り返す、というふうなことをしておくと、1時間のアラームと15分のアラームが同時に鳴ったりして、そうなったときには「ああ、やりきったな」となって本当に面白いです(何と戦っているのかはわかりませんが、何より、自分の思い通りの時間を過ごせた、というのは自分にとって得難い体験です)

補足:⑧勉強から得られたこと

数年前にブログを書いて、そして今、ブログを再度書いていますが、はじめはアウトプットに対する恐怖心のようなものがかなりありました。そして(おそらくこの文章も見られないのだろうと思いますが)今は文章を書くこと、それをアウトプットすることに対する恐怖心のようなものはかなり薄らいでいます。その抵抗感のなさ、一種の慣れは、まさに勉強から得られたものだと感じています。

そして、ブログの文章というのは、一応外部に上がっているので、それを見返す機会もあり「ああ、当時はこんなことを考えていたんだなあ」といい機会になります。なんだかんだで、日記は見返す機会が少ないです。一頃は日記を見返すプログラムでも自作するか、と思っていたのですが、結局やっていません。

このように「ツールから作りたいけどツールから作ると続かなくなって自滅するな」という予測も、勉強から得られたものだと感じています。まあ、何を勉強ととり、何を勉強としないか、という話でもあります。

例えば、最近の自動生成AIについて学んでいる過程でU-netの実装部分がよくわからなくて、よくわからないので更に深く学ぼうとしたのですが、まさに手が止まってしまい、結局何も得られなかった、ということがありました。これについては一旦、その部分を飛ばし、全体を理解することに終止しようと思っています。このように「あ、ここは一旦飛ばそう」という判断がなにより貴重に感じます。

そして、そんな風にしていくと、未知のものに突いて学ぶときに「もしかしたら自分の勉強した道のりを公開したら、誰かの役に立つかもしれない」と考えるのも、一つの学びの動機=アウトプット先になるのではないかと予感しています。

ちょっと真面目にふれすぎてしまいました。
もっと無駄なことを極めていきたいと思っています。死ぬときに「ああ、仕事なんて適当に切り上げておけばよかったなあ」というふうにならないように、人生の意味を見失わないように気をつけたいものです。(無駄で楽しいこと、なんだろうなあ、社交とかかなあ)

今回は以上です。

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