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「バカの壁」をもう一度読んで「成熟する」ということについて考えてみた。 2022年1月22日(土)

養老孟司といえばこの本。大ベストセラーで販売当時に一度読んだ記憶があったのですが、長い月日を経てなんだか急に読みたくなって電子でポチっとしました。

前に読んだときとはまた違った印象があり、そういう意味でも前回読んだときにあったであろう自分自身の「バカの壁」の向こう側を見た気がしました。

「バカの壁」の本質は以下に集約されます。

バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。

養老孟司. バカの壁(新潮新書) (p.138)

要は「人の気持ちがわかるか」というところに通ずるところがあり、多面的なものの見方の重要性を教えてくれるのがこの本の醍醐味だと個人的には感じていたりします。

そして、バカの壁を通して私は「成熟する」ということについてふと考えました。

以前にテレビで田中邦衛さんの映像を観ていてこんなことを言っていました。

「表現を削ぎ落とす、全てを捨てる、いつまでも成熟しない俳優だなって思われるようなバカやってますよ」

これを聞いたときは、あれだけの方が経験を重ねていくイメージではなくて常に新規作成のイメージで表現されていたなんて!と思ったのですが、これがバカの壁を取り除いていった先の成熟された姿なのではと感じるようになりました。

もう少し身近な例えでいうと、ずっと同じ会社にいるサラリーマンを想像してみてください。

年を重ねるごとに役職があがり、昇給し、これが「経験を積む=成熟」のように考える人が多いかもしれません。

しかし、本当にそうなのか。

実際には同じ組織に属し、壁の内側で共通性を求められていく中でだんだんと壁の外側に興味がなくなり、その外側の存在すら忘れていってしまう。内側のルールが絶対になっていく。そこに多様な解というものは存在しない。

進撃の巨人しかり。

この時点で成熟からは程遠いように感じます。

どこまでいっても「バカの壁」は消えませんが、歩んでいくうちに1つずつでも、少しずつでも「バカの壁」を取り除いていく努力というか姿勢みたいなものが重要であり、それが成熟している状態に近づくコツなのではないかと。

同じ写真を見ても、考えることや感じることは人それぞれ。

これからどれだけの「バカの壁」を見つけられるだろうか。


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