全ては「やる前」である

いつもの映画監督の友達と、大阪の夜風を浴びながら話していた。彼と会うことは僕の中ではチューニングなのだ。どこか違う方に逸れてしまわないためのミチシルベ。

その彼と「結局、“それ”をやる前が一番楽しいよね」という話になった。

今は訳あって休止しているが僕は物語を書く。書き出す前の高揚感といったら、それはもうハンパないものがある。もちろんその作品に則したテーマというものがあるのだが、原稿用紙が真っ新な状態というのは言わば「何でもし放題」な状態だ。

いくつかのプロットを書く。やばいぞこれは。日本の映像業界に新風を巻き起こすとんでもない作品ができてしまうぞ。よし!一晩寝かせよう。明日からの執筆が楽しみだ。

楽しいのはここまで。
時間が経つと、「え?これ何がおもしろいの?」「これで話進めていくの?え、てか官能小説じゃね?これ」
魔法が解けてしまうのだ。そこから物語を完成させるための執筆時間というのは苦痛でしかない。「やる前」に何か一つ終わってしまっているのだ。

旅行も計画を立てている時がピークだと皆口を揃えて言う。
最初の10ページくらい読んで放置している雑誌、家に何冊あるだろうか?
前戯もそうだ。本番を迎える頃には割と満足してしまっていないか?
渦中は見えないのだ。深く暗い。

そんな中で「現場」に立ちながらも没頭できるものを見つけてしまった。
それは英語の勉強である。ご存知の通り、僕は来月のTOEICで730点を目標に、定職にもつかずに勉強している最中だ。貯金もあるし、バイトは月々の生活費で赤字にならない程度入っている。他の有り余った時間を使って細々と勉強の時間に充てている。大阪市北区のカフェやファミレスは僕の主戦場だ。

さて、いくら1ヶ月留学していたとはいえ英語はまだまだ未知の世界。さっぱり分からない。実のところ730はおろか、600、500さえも取れるかどうか怪しい。

とりわけリスニングの問題に関しては初めから終わりまで眉をひそめている。いつもオンライン授業でフィリピンの先生を付けて問題を解いているのだが先生も笑っちゃうほど険しい顔をしている。「Youは修行でもしているのか?これがSAMURAIスピリットなのか?」と言わんばかりのフィリピーナ。

しかしこの「分からない」というのが実は楽しい。楽しいというか、
分からないことが悔しい→次だ次だ!→分かるようになる→楽しい
このサイクルは確かに存在する。ドーパミンはドクドク出ているだろう。サーモグラフィーで調べていただきたい。
そして飽きない。疲れるが眠くなるまでは平気で続けていられるのだ。
英語のセンスはおそらくない。非常に遅い成長スピードで駆け上がっている。しかし、この手は伸ばし続ける。いつか起きる爆発のために。

何事にも悔しい思いをすることだな。成長の前にはブチ切れそうな心が折れそうな泣きそうな体験が必ず付いているものさ。

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。