近場で大魚は得られない
例えば「甲本ヒロトに憧れてます!」と高らかに宣言するストリートミュージシャン、「是枝監督みたいな映画を撮りたいです!」と目を輝かせる学生映画監督。そういうのは何か冷める。その同業の諸先輩方を目指すのは、やるべきことと矛盾している気がするからだ。
クリエイティブは今まで誰も触れたことのない物を体感させないといけない。その点、甲本ヒロトも是枝監督も現役バリバリで、すでにそれぞれの業界に存在しているので2人もいらない。ミュージシャンなら「小木ママに憧れてます!彼のように優しい雰囲気のある、クールでカオスな音楽を作りたいです」くらい、離れたことを言うべきだと思う。
爆笑問題の太田さんが好きだ。子どもの名前も光にしようか迷ったくらい。生放送のときの太田さんの暴れっぷりはいつもヒヤヒヤもので、他の芸人に媚びないアナーキーさを感じる。彼のルーツは読書にあり、チャップリンにある。暴力を誰よりも嫌う太田さんが、あえて破壊的な笑いに挑戦する様は面白くて、カッコいい。良い意味で芸人らしくない。
ピースの又吉さんもそうだ。お笑いの先輩の誰かというよりも、太宰治へのリスペクトが強く、それがピースのコントに色濃く出ている。
芸人でいうと、アルコ&ピースの平子さんも「渥美清さんに憧れて芸人になった」と言っていたが、あれは本当かどうか分からない。
ここで自分の過去の記事や発言を見返してみる。「三谷幸喜さんリスペクトです!」と繰り返している。ダメだこりゃ。三谷幸喜は、坂元裕二は、宮藤官九郎は、もうすでにいる。コメディを書きたい人間がコメディ作家に憧れていてはいけない。コメディを書くために、誰も見たことがないものを書くために、僕が参考にすべきは、少なくとも僕が尊敬する人ではない。極端な話、昨日の官能小説じゃないけれど、アダルトビデオとかアウトローな世界から得られれそうなアイデアは多いと思う。
食わず嫌いしないことだな。新しさとは結局、既存のものの組み合わせでしかない。思わぬ二つを出合わせることで人はクリエイティブになれる。だから小説家はダンスクラブへ、料理人は野球場へ、保育士は戦場へ、助産師は墓場へ行く。