完成させるやつ

先日偉い人と飲んでいた時のこと、話題が僕の執筆の話になった。言い訳になるが、最近はもうバタバタで、なかなか書く時間が確保できていない。僕の場合、3時間あれば書けるだろうなという量でも結局10時間くらい必要になるので、時間の確保は命題なのだ。オーストラリアにいた時はとにかく暇だったので割と書けた。

「どんな話を書いてるん?」
「作文の天才少年がいるんですけど、実はそれを書いているのは全て母親で、母親が倒れてしまって自分で舞台の脚本を書かないといけなくなって……」
「よくあるやつやんか」

出かけた手を引っ込める。堪えろ俺。

「はあ、はい」
「起承転結は?」
「それが固まっていなくてですね」

固まっていたら書けるわ。

そこから偉い人は延々と自分が構想している、予算が何億あっても足りないようなストーリーをダラダラと話し始めた。

脚本とか小説を趣味で書いてますと言うと、見られるハードルが高くなりがちだ。何かいろんなことを考えている、なんでも知ってる、悩みを解決してくれる、そんな風に捉える人も少なくない。視野は広いに越したことはないが、問題は深さだと思う。むしろ物書きは中途半端に守備範囲を広げるよりも、人生をかけて伝えたいことの深掘りをしている人の方が多い気がする。

話を居酒屋に戻そう。
偉い人にご指摘いただいたように、構想中のシナリオは面白くない。面白いシナリオの条件としては簡潔に「○○が△△する話」というふうに30文字程度でおもしろそう!となるものだ。最近読んだ「存在のすべてを」は「誘拐された子どもが2年後に躾をされて戻ってきて、記者がその2年に何があったかを20年越しに解明する話」という具合だ。おもしろそう!

でもよお、勝手にハードル上げといて期待外れ感を出すのはキツイぜ。それに、キャッチーなあらすじも大事だけど、僕の書いたシナリオのおもしろさは、僕の書いたシナリオを読んでから判断して欲しい。美しい話を語るだけのやつより、誰もが眠ってしまうくらいつまらない話を完成させたやつの方が、僕は友達になりたいと思う。まずはやってしまう!

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。