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夢を語る時の主語について

1月1日より毎日投稿を続けているわけだが、昨日の記事の反応があまりにも悪い。おそらく原因はタイトルのうさんくささだ。
noteに限らずだが「稼ぐノウハウ」みたいなものを発信したがる人ってどの界隈にもいる。Twitterにもインスタにも実生活にも。そういう人は百発九十中くらいでおもしろくない。大した情報も発信してない。「続きは有料」とか言って「情報」に空虚な価値観をつけているものの、その先はやはりどこかで聞いたことのあるようなことしか書いてない(ああいう人ってとりあえずONE PIECEでビジネスを例えとけばいいって思ってるよね)。

そんなビジネスの臭いのするアカウントって本能的に避けたくなる。多分みなさんも同じこと思ってると思う。近づいても何も良いことないんだから。

逆も然り。「良い文章書くなー」と思っていた人が「今月はnoteでこれくらい稼ぎました!」とか突然言い出すとどん引いてしまう。今まで騙されていたような気分になる。

それを踏まえて昨日の僕の記事を振り返ってみよう。タイトルは「投資は辛いよ」。もうこの時点でアウト。タイトルに投資というワードが入ってる時点で人は拒否感を示す。そしてヘッダーはいかにもって感じのイラスト。これもだめだ。松本拓郎のnoteはこんなんじゃない。何考えてたんだ昨日の俺。反省として今日は顔を晒しておきました。

ダサい感じの記事に見られてしまう。分かってる。分かってた。分かってるけどやってしまうことってあるよね。

友達だと思っていた人たちが、組織ぐるみでネットワークビジネスの世界へ僕を落とし込もうとしていたことがある。もう4年前のことだ。最初はそんなはずがないと、忠告する人たちを無視してそいつらを信じた。でもやっぱり僕は見る目がなかった。そいつらはやがてお金を要求するようになった。「仲間やろ?」としきり言ってきた。「一緒に金持ちなろうや」とも言ってきた。その目は夢を語る若者の目ではなかった。お金を払うギリギリ手前で僕は抜け出せた。

僕はたまたま運がよかっただけだ。今日だって、中身のない人間に騙された「養分」たちが生まれている。搾取者たちからしてみれば、その蜜は甘いに違いない。いや、甘いと感じる味覚すらも失っているかもしれない。

だから嫌なんだ。自分が少しでも「そっち側」だと思われることが。夢を語る時の主語が「私」ではなく、「みんなで」になったやつは危ない。茨木のり子風に言うと、自分の夢くらい自分で守れってなもんだ。

【1月25日の日記】

I'll leave my current home tomorrow. I've lived here for about six months. As it was my last day staying here, I went to my favorite cafe where there is in around my house nearby. Finding this cafe is the best thing for me to live here. I hope to see some good things around the next apartment. To be honest, the new apartment is also near my current one lol

明日、今の家を引っ越す。およそ6ヶ月住んだことになる。最後の滞在日というとことで、近くの好きなカフェに行った。このカフェに出会えたことがここに住んだ中で最大の収穫だ。次の家でも何か素敵な出会いがあるといいな。まあ次の家近所なんやけどな。

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。