Apple Watchは意思表明

Apple Watchを昨年から使っている。モデルはSEだろうか。実のところよく知らない。Apple Watchから受けている恩恵は
・スヌーピーの待受が毎回違った動きをしてくれる
・iPhoneに通知が来たらすぐに分かる
・睡眠時間を計測してくれる
くらいか。使いこなせばもっといろいろできることを知っている。謎のアイコンがたくさんあるので、きっと僕の想像を超えた世界が自分の手首には潜んでいるのだと思う。医療従事者にはApple Watchが手放せないという話を聞いたことがある。それもなぜかは知らない。ただ、僕がApple Watchの凄さを語る時には「医療従事者も使ってる人が多いらしいで」と添えるようにしている。それ以上は何も言えないが。

なぜ使っているのか。それは意思表明のためである。私はこういう人間です、高級時計を持つお金はないけど安い時計をつけるのも嫌です、ならばテクノロジーに走ります。Apple Watchをしている、というだけで何となくどんな人間か分かってもらえるのは大きい。名刺を手首につけているようなものである。「こっちの方がいい時計をつけていて、お前の方が安い」みたいな小競り合いからも逃れることもできる。手首では戦いませんよ。

出身大学の偏差値を語る上でも、そのアウトサイダー理論は通用している。僕が出た大阪芸術大学は偏差値でいうと低い。低いけど「芸大だしなあフィルター」がONになり、偏差値とは別の方向性だと勝手に理解してくれる。実際は、根っからの芸術家肌と、なんとなくかっこいいから派と、他に入れるところがなくて来た派の3つに分けられる。僕がどれに分類されるかは読者の想像に委ねる。

身につけている物や経歴はある種のステータスだ。周りは何も思っていないのだけれど、自分は気にしてしまうものだ。そんな方々にはアウトサイダー理論を強くおすすめする。お金よりも便利さとか機能性を取れば良いんじゃないか。
車とかもそうだ。ステータスで勝負したくないなら、二人乗りのエコカーにでも乗ればいい。あのコンパクトすぎる車を見るたびに、そこはかとないアウトサイダー感を覚える。あれに車種もメーカーもない。「小さい車」という印象しか残らないだろう。完全に独立した、何者にも媚びていない感じがかっこいい。

そのコンパクトカーから見える運転手が、芸術家風情でApple Watchをしていたらもうたまらないな!

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。