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故郷が教えてくれたこと

大阪・十三に帰っている。

十年余年前、僕はこの寂れた町でくすんだ日々を過ごしていた。

綺麗な思い出はあまりない。

ウソがままならなくなったり、誰かを裏切ったり、侵犯に次ぐ侵犯で何とか食いつないだり、尊厳がゼロ化したりと、振り返るほどに美化できる話がない。

学んだのは「不正解の価値」だった。

十代、学校で教わった公式は「正解は◯で不正解は×」だった。前者は有価で後者は無価値、以上終了でしかない。

でも現実の世界、人間の営みに明確な線引きなんて存在しない。正しさも間違いも濃淡を帯びて、社会という怪物の中を駆け巡っている。怪物は「経済」という血液により機能している。

怪物なる「社会」からはみ出しても、そこには別の社会があって、さらに底辺から滑り落ちても、その下には地下がマントルまで広がっている。ここにも別の社会がある。

僕たちはどう転んでも社会に行き着く。そして経済という血液に手を突っ込んで、お金という酸素を取り込まないといけない。

お金が正規ルートで手に入ればいいのだが、うまくいかない毎日だった。たとえば土下座して金をもらっていたことがある。あれはいったい何だったんだろう。詳細が記憶から抜け落ちているが、支払われた報酬が非課税だったことは覚えている。

思えばこの町の血管はずいぶん傷んでいた。なかなか酸素にありつけなかった。血液の色は赤黒く濁り、質もドロドロだった。そこから少量の酸素を取り込んで息を続けていた。

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僕だって正解なんてものは学校で教わっていたし、分かってはいた。でもそれだけでは生命を繋ぎとめられなかった。「清廉なだけじゃ、腹は膨れぬ」というムゴめの真実の中にいると、「倫理なんてものは犬にでも喰わせておけばいいのだ」と、そんな気がしてくる。

では暗くてつらかったかと言われると、そうでもない。爆笑するほど楽しくはないが、号泣するほど悲しくもなかったのだ。

音楽があったからだ。

あの頃の僕にとって、音楽はとても大切だった。心の支えなんて書くと陳腐だが、歌を作ることはお金もかからない上に、生きがいになるほどの高揚感をもたらした。

音楽のためなら他が「間違い」に染まることなど、とるに足らなかった。

正直に歌を作っていた。表現にウソをついてまで稼ぎたいとは思わなかった。「偽って歌うぐらいならば飢えて死ぬ」と決めていた。

よくミュージシャンに対して「金になってないんすね?食えてないんすね?趣味なんすね」という三段論法イジメがあるが、餓死を天秤にかけるホビーが果たしてあるだろうか。

飢えを覚悟して音楽を志した。これは貧しさがもたらした感覚だったのかもしれない。

この記事を読んでいるあなたにも夢や目標があると思う。

「飢えても構わん」なんて切迫した謎の尺度で接してはないだろう。こんなものは完全に不要な姿勢だ。ただ、僕的には迷いが消えた。引くに引けないシチュエーションは覚悟を作った。

しかし歌以外の要因で飢えたくもなかった。志のためならば、多少の間違いは微細としか思えなくなった。

人生には曲げられないものと、どうでもいいものがある。この「どうでもいいもの」も馬鹿にしたものではない。

自分にとって特に拘りもないどうでもいいことが、一番大切なものを護るのだ。

世の中には『脊髄反射的頑固マン』という病気の人々がいる。何でもかんでも拘ってくるやつだ。どんなことでも、自分の思い通りにしないと気が済まない性質を持つ。「どうでもいいこと」がないのだ。

甘えている。もしくは周りが甘やかしている。それか「護りたいもの」がないのだ。飢えと天秤にかけているコンテンツがないから、くだらないことに躍起になる。

故郷へ帰ってきて思う。今の自分を形成してくれた場所というのは、死ぬまで忘れられないのかもしれない。

この町に来なければ、僕の人生は確実に違ったカタチだった。これが良かったのか悪かったのかは分からない。ただ、後悔はない。


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