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「何かキマるやつ持ってませんか……?」と声をかけられたら

何か起きるのはいつも大通りじゃなくて路地裏だ。
新宿は大きな通りが溢れているけれど、ドラマは古今東西路地裏にある。

それにお金がかかる場所よりもあたたかい感じがする。摂氏温度としては低いのだけれど、薄暗くせた乱雑な地面にしゃがみこんでいると、優しさでも敷いてあるのかいっそのこと眠りたくなる。

こういうところにあてもなく、しゃがんでいると非常に良い。人間の腰の高さに目線が固定されて、完全に認識されなくなる。
ただ、単純に人間、というか「腰」が通り過ぎていく。

この「しゃがみこみ」を行う際、TPOというのが大切になる。やはり大通りだと奇怪がられてしまう。なぜか狭い路地だとその辺の電信柱のように目もくれずにスルーしてくれる。

こうしていると、たしかにこの街にはいるし、生きてもいる。そして何かを観測できているのだ、という淡い充足感が生まれる。

そんなことをやっていると、「すんません、何かキマるやつ持ってませんか?」と声をかけられた。

見た目は二十歳そこそこの「マッシュルームです!」と言い張らないと坊ちゃん刈りになってしまいそうな罰ゲームのような髪型の男だった。
上背もそれなりにあるのだろうが、猫背が度を越しているせいか168cmの僕より小さく見えた。

こういう輩にロクな者はいない。働いていなくて、学校も行っていない。そして金はどうなっているのか、とにかくギリギリ死なないで無軌道に錯綜的に生きている。そのわりに目だけはやたらとギラギラと焦燥感を宿している。

かつてこういう者は不良、ヤンキー。何なら学校でも多少カーストが上位にカテゴライズされる人種のお家芸だった。いわゆる「陽キャ」が好んでいたライフスタイルなのだが、最近はただただ社会から弾かれた人間が多い。彼らの多くは家庭環境が壊れていたり、適応障害だったり、単純にエネルギーが有り余っていたりする。

坊ちゃん刈りは「何か、ないですかね……?」とまた言っていた。

僕が「いくら持ってる?」と聞くと坊ちゃん刈りは「1,500円しかないんです……」と答えた。

僕はビオフェルミン錠を持ち歩いているのでそれをあげることにした。

あたりを見渡しつつ、「かなりキツめのやつだから気をつけろよ」と言い、十錠ほど渡した。
坊ちゃん刈りはニコニコしながら頷いて走っていった。

分が悪いと思った。若い、と言うのは分が悪いのだ。「若い」というだけでも哀しいのに、ああいった日陰者はもういろいろと恵まれない。

別に若くない僕たちも街や世の中で散々な目に遭う。良いことなんてほとんどないし、悪い目に合いそうな場所に首を突っ込む自分に責任があるのだが、やはり「ラッキー!」なんて事柄は少ない。

その中でまだ生きられているのだから、運が良いほうだとは思うのだが、そんなラッキーばかりかと聞かれるとそうではない、と言いたい。

でも僕の若い頃を思うと、やはり三十代になった今よりは分が悪かった。若いというだけで不利だし、もはや哀しい話が多い。

渋谷のマークシティの下でブッ倒れて寝ていたらサイフをスられていたことがある(これがスリなのかどうかは分からないが)

大阪にいた頃、こんなことはなかった。

寝ている人間の胸元からサイフを盗るというのは明確な悪意がある。落ちてたものを拾うのとは違うレベルの悪行、罪悪感の欠如を感じる。

しかしあれが、今の年齢、今の自分だとスられたのだろうか。と思ってしまう。

もしも「若いからスってやった」なのだとしたらそこには犯人の利己的、自分勝手な「いましめ」があったんじゃないだろうか。

「こら、若者よ。こんなところで寝たらダメだよ、危ない目に遭うよ、ここはしつけとして、叱りとして、罰としてサイフを頂いておくよ。これからはちゃんと屋内で寝るんだよ。イタイ目を見んと分からんからな」という意味合いのものだ。

書いていたら段々と腹が立ってくるし、あのとき入っていたサイフの2,000円が恋しくもなってくる。犯人を見つけたら襲いかかる気しかしない。でもどれだけ吠えてもあの金は返ってこない。

これでいいのだし、その2,000円がビオフェルミンの1,500円に変わったのかもしれない。たしかに自己弁護するならば、あの坊ちゃん刈りに「こんなところで変な買い物すんなよ」という気持ちがなかったかと言われるとゼロになる。

虫の魂ほどの少なさだが、「帰って勉強しとけ」という気も無くはない。環境や彼の事情もお構いなしだが、それぐらいの老婆心はある。

もちろんそういう自分の都合で物申してくる大人を憎まないといけない。それこそが青少年というものだし、みんなが見てるからTikTokを見る必要なんてないのだ。何ならスマホの窓しか見ていない二十歳より、路地裏で整腸剤でラリって、酔っ払って自分自身と対話している孤独なやつのほうが好きでもある。

彼らはそうして大きくなるしかない。もちろん大きくなれずに二十代でくたばるかもしれない。三十代になった後にくたばるかもしれない。四十代で早死にするかもしれない。でもそんなことはどうでもいいのだ。

十年後、どこかの路地であの坊ちゃん刈りが「めっちゃキマるの入ってるでぇ……!」と次の若者にマルチビタミンでも売りつけていることを祈る。笑える話ぐらいのオチ具合でいてほしい。徹底して堕ちると、暗いし笑えない。サプリは体にいい。金を払う価値がある。

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