伸びなくなった自分で戦う

訳あって、去年は文章のスパルタコーチングを受けていた。多少僕のテキストは面白くなったのだろうか。
「習うぐらいで面白くなりゃ世話ない」とは思うが、本人としては良くなった気がしている。

技術向上など自己満なので、読み手が「違いなど別に分からん」でいいのだ。

歌唱もそうだが、些細な上達などまわりは気にも留めないものだ。でも本人が楽しければそれでいいではないか。

それに歳を重ねていくにつれ、何かが上達する機会なんて失われていってしまう。レベルアップすることなど、年々少なくなってくる。

これは「長年の修行の末、テクニックを極めた…!」というわけではなく、もう人間として天井を叩いているのだ。死というピークに近づいていく宿命でもある。

皆なだらかに成長曲線は平行線になっていく。

しかしこの「伸びなくなった自分」で戦わないとならない。スヌーピーの言葉を借りるなら「配られたカードで勝負するしかない」のだ。

「この程度の才能」や「こんぐらいの腕力」でなんとか戦うのだ。

二十代は「力を伸ばすぞ。勝つために」という余裕が許される。その余裕はもうない。

二十代と三十代、その付近には目に見えない激流の川がある。

この河川の向こう側にいる人間は、「この戦力で勝負せざるを得ない」という諦めと覚悟がある。でも案外、このスピリッツのほうが結果が出たりもする。『覚悟』というのはそう捨てたものでもない。

僕も「もう伸びないやつ」である程度行くつもりではある。

勉強できることはいくらでもあるが、今より速く弾けたり、高く歌えるか言ったような身体的な部分に関してはもう諦めたほうが早い。がんばればできるのかもしれないが、そもそも興味もない。今思えば十代の頃から興味がなかった。

力を伸ばすどころか、そんな性根すら治る様子がない。急に素晴らしくもなれない。外国にも行けない。知らない喫茶店にも怖くて入れない。

「出来るようになどなれない」でいい気もする。

去年はそう決めつけてやってきた。今年もたぶんそうだ。

そんな僕が上達を楽しめたのはこの「文章を書くこと」という小学生でもやっているものだった。

今年もいろいろ書いていたい。

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