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この働き方に挑まないと覚悟を決めていた

「技術的限界値」というものがある。

元旦に書いた記事にもあるが、「これ以上は伸びない」という位置だ。

この「技術的限界値」を意識した経験があると物の見方が変わる。

「技術」と言っても何も速く走ったり、暗記力が長けていたり、コミュニケーション能力の話だけではない。

たとえば僕は一度も正社員になったことがない。
合わない場所、独自の文化圏、規律が噛み砕けないのだ。
「それ技術なんかい!?」というツッコミもありそうだが、「適応力」というのも立派な技術だ。長けているひとに憧れる。

ここに関しては、もうハナから諦めている。

僕は月間150時間以上の労働をしたことがない。正社員うんぬんではなく、労働者としてのバッテリーが死んでいるのだ。

梅田にいた頃、バイト先のシフトが月ごとの提出だった。

カレンダー上のシフト表に9-18時とか12-21時とかを書き込むのだが、右下に【今月の合計労働時間】というスペースがあるので、出勤時間を足し算して自分で書き込む。

一度、月間140時間ほど書いてみたことがあるが、苦しくてたまらなかった。仕事をしていると、呼吸ができなくなり、帰れば酒を飲みまくった。

「死ぬほど飲めばあした行かなくて済む」と思っていた。さながら徴兵されないように醤油を飲む男のようだった。結局、当日欠勤の連続で100時間を割ってしまった。

「耐え抜けよ」というアドバイスをもらったことも一度や二度ではない。ただ、僕は自分の技術的限界値を決めていた。

周りには根性無しに映っていただろう。言い返すつもりもない。ただ、僕なりに「限界値」のエビデンスがあった。

野球は好きだが野球部は駄目。
二人遊びは好きだが、四人以上になると絶対つまらなく感じる。
作曲は好きだが、知り合いのライブ鑑賞はニガテ(好きなバンドのは好き)
家族旅行は大嫌いで、親戚も嫌い。

幼少期から続く自分の性質をもとに「ここには挑まない」と覚悟を決めていたのだ。

こういった輩は時に「社会不適合者」などと呼ばれたりもする。そんなことはない。

実際、僕は社会に残留しているし、他の役割で呼吸を続けている。自分のできる範囲内で他者と関わり、少しは役に立ててもいるし、大人しく納税もしている。

ちなみに梅田の仕事はずいぶんと続いた。おまけにかなり通用した。お金もずいぶんともらえた。

技術的限界値の概念があったおかげだ。
「俺はこういうやつなんです。それでも役に立てることありますか?」というカタチで成立した。

限界値の設定がないひとは「その仕事に向いてる向いてない」で二極化して考えがちだ。

限界を決めるという行為は「Aはできないけど、Bはできる」という決意だ。

「Bならばちゃんとやるぞ」と決めると、頭ひとつ抜けた存在に慣れたりする。そうして稀有な労働力として重宝され、いつまでもたいそうしあわせにくらしましたとさ…

なんて御伽話のようなエピソードにカスるときもある。それなりに生きていれば。




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