好かれるわざ!

「すきなひと」 って何人いるだろうか。あんまりいない気がする。でも全然いないわけでもない気もする。

じゃあ、なんで僕はその人たちのことを「すき」になったんだろうか。
そもそも「すきなひと」ってなんだろうか。

自分にやさしい人だろうか。
自分が面白いと思う人だろうか。
自分がカッコイイと思う人だろうか

いろいろなファクターがある。ありすぎる。それらが複雑に絡み合って、「すききらい」のジャッジは下るのだと思う。

だけど、そのなかでも一番大切なファクターがある。「自分が受け入れられている」かどうかだ。

僕たちは「受け入れて貰えているか」を自分が思っているよりも、大事にしている。
「俺は他人のことなど気にしない」と言っているひとでも、当然受け入れられている方が好きだ。もはや受け入れられずして、そのひとを好きになることは無いと言ってもいい。

やることを理解してくれないひとよりも、理解してくれるひとが好きだ。
許してくれないひとよりも、許してくれるひとが好きだ。
傷つけるひとよりも、傷つけないひとの方が好きだ。

では、僕たちはどれぐらいひとに、受け入れられているだろうか。
そして、どれぐらいひとを受け入れられているだろうか。

あたりまえだけど、誰のことも受け入れていない人間は、誰にも受け入れられない。他人を理解して、許して、傷つけない生き方をしないと、僕たちは、いずれ独りになる。

無条件に誰でも受け入れるというひとはいない。家族であっても、勘当や絶縁というシステムがある。他の生命体なのだから当然だ。

僕たちはどこかで、「受け入れる技術」を鍛え、学ばないといけない。独りは悪くも無いが、独りでやれることなんて、たかがしれているのも事実だ。たかがしれているスケールで生きていきたくないなら、学ばないといけない。

今まで僕はどれぐらいひとを理解せずに、許さずに、傷つけてきただろう。
勝手をした分だけ、怒った分だけ、どなった分だけ、殴った分だけ、ひとに好かれなかった。そして、好かれなかった分だけ、ひとを傷つけて壊してきた。その分だけ、スケールは小さくなり、「たかがしれているやつ」に近づいた。

僕たちは、好かれるために生きてるわけじゃない。だけど、嫌われるために生きているわけでもない。

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