466ヶ月後に死にます
イマ生きているひとは死ぬ。最終的にはもれなく全員死ぬ。
この前提を忘れがちである。ボケーっと口を半開きにしていたら、完全に忘れてしまうのではないだろうか。
だからこそ生きているうちに、やりたいことをしないと間に合わない。
行きたいところに行き、やりたいことをやる。
それができない理由が「死んでしまっているから」ならば分かる。というか完全に納得してしまう。
しかし生きているなら何か方法がある。
他人のアドバイスというのは「やらん方がええで」に偏りがちだ。心配しているよん、ということだろう。
でも持っている可能性を殺してまで無事に生きていくことは、本当に生きていることなのだろうか。
「何かをやりたくない」もこれまた同義である。やりたくないなら、やらない方がいい。
それこそ「やりたくないことで24時間のほとんどを埋め尽くして死んだ」なんてことになりかねない。
この「やめられない」の理由も「死んでしまったから」ならば納得できる。
死んでしまったら、やめることすらできないのだ。
怨念のようにくりかえすが、生きているなら何かしらやめる方法がある。
というか誰の断りも無く、やめちまえばいいのだ。
そもそも「迷惑をかけるから、やめにくい」という気配りは先方もありがたいのだろうか。「なんだその気遣い」としか思わない。
「やめたいけど、迷惑をかけるから、やめられないのよね!」ほどウザいものもない。
自分が思われていたら「頼むからやめてくれ」と泣きながら懇願してしまいそうだ。バックれてもいいから、一刻も早く消えてほしい。
やめたがっている自分、別れたがっている自分、離れたがっている自分。というのは先方にとっても嬉しいものではない。
僕にも「出会えて良かった」というひとと、「どっちでもいい」というひとがいる。
本来、僕たちは居たい場所に、居たいひとに、時間を使うべきなのだ。なぜなら「時間」というのは人生、命そのものだからだ。
人生70年ならば60万時間ほどしか無い。
僕には後35万時間ぐらいしか無いのだ。
日数にすると1万4000日しか無い。
週にすると2000週間。
月にすると、466ヶ月。
もう後、二週間で残り465ヶ月になってしまう。
できることはもういくつもない。
そういや、上の記事で、事務員募集したらけっこう応募来ました。ありがと。
総合職も一人ほしいと思ったので、募集します。
こちらは事務と違って月40万円。そんな激しくはないけど、事務よりは少々バトルモード。
takurooohirai@gmail.comまで。
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