情緒!

情緒が最近よろしくない。睡眠薬も抜けづらいし、内臓も気色悪い。

こうなるとまわりにも優しくなくなってしまう。良くない。

自分という個体が、コントロール不能になっているのを感じる。

医者曰く、自律神経が「こんなにもか」と言うほどにイカレているらしい。医者の言うことがすべてではないが、医者の言うことにはある一定の説得力がある。

しかし病院に行って、それなりに悪い病状だと、軽く満足感を覚えるのはなぜだろう。「癌です。もう死にます」と言われたら、流石にへこむけど、「自律神経が最悪」ぐらいならば、ちょうどよく感じてしまう。

「医療費のもとが取れた」という気になるのか、「このサービスを使ったのだな」という気にでもなるのかは分からない。

マッサージや整体に行って、「肩こりヤベーっすねー!」と言われるのも、そこそこ喜ばしくないだろうか。

あれは施術者も分かっているのだと思う。
毎度毎度言われるのだが、あいにく肩こりというものを、僕は持っていないので、「馬鹿にしてんのか」程度にしか思わない。

「もと」の話もあるが、病のもたらす「非日常感」に魅力があるからも考えられないだろうか。これは三十七度ぐらいの発熱で、学校を休んだ日の幸福感に近しい性質の話だ。

「非日常」の空間はいつだって需要がある。

ライブハウスに逃げ込むのも、小説の中に逃げ込むのも、風俗通いに熱を上げるのも、根っ子には「非日常」への渇望があるからだ。個人個人の日常がひどいかは置いといて、海外旅行は人気だ。

本やアルバムを楽しんでいて、「嗚呼、終わってしまった」とため息が溢れることがある。後悔の念に近いような、そういううつろな気配を含んだため息だ。

映画にしろ小説にしろ、ごくたまにだが「いつまでもこの世界の中で遊んでいたい」という気持ちにさせる作品に出会うことがある。

そういう作品がはらむ世界には、空気の中にその作品だけが持つ独特のフレーバーがあって、それが自分の生理に同調するからだ。
その世界へフラッと入ったものの、妙に居心地が良くなってくつろいでしまい、長居したくなる。いつまでもこの空気を吸っていたいと思うようになる。

なのに作品は終わってしまうのだ。『静かなるドン』や『万引き家族』や『孤高の人』がまさしくそれだった。

あまり出会えない。自分で作り出せれば、とクリエイターの端くれながら今宵も思うのである。

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