忙しさ
「忙しいひと」は集団において良いことがないし、「忙しそうなひと」はさらに上をいって良いことがない。基本的に忙しいのは良くないのだ。
それを棚に上げて言わせてもらうと、ここんとこ忙しい。
もう片付いたのだけど、久しぶりに「嗚呼、忙しかった」という期間が続いていた。
でも不愉快なわけではない。むしろ逆だ。「たまにキャパシティを越える量をさばくのはいいなぁ」と思うのだ。もしかしたら忙しいのもあながち悪ではないのかもしれない。
いつも多忙だと死ぬかもしれないけど、たまにあるとちょうどいい負荷になる。筋繊維も心も傷つかないと強くならない。ストレスや負担、プレッシャーはゼロでも駄目なのだ。
筋繊維とかたんぱく質の話ばかりしていたら、誕生日にプロテインをもらうようになった。
僕はゴリラではないけど「何か困ったことが起きたらとりあえず筋トレだ」ぐらいには思っている。みんなが大嫌いな脳筋野郎である。
もちろん筋トレで悩みが解決するのではない。しかし問題点が浮き上がる。
「自分の心を暗くしているものは何か?」という本質に迫れる。運動効果で気分が晴れるからだ。
そもそも、その悩みが本当に「悩むべき悩み」であることはじつは稀だ。
「悩んでも仕方がないこと」だったり、自分の気分が落ちていただけであるケースが大半だ。
運動、食事、睡眠がなんとかなってれば、大体の悩みは消え失せるものらしい。
しかし食事と睡眠をドライブさせるのは運動なのは間違いない。
語呂のせいかと思っていたが、「運動→食事→睡眠」と呼ぶ順番には理由があるのだろう。
音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!