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いつでもやめれる。だからこそ新しいことを試せる

継続は大事である。このnoteもそうだけど、続けることは素晴らしい。

しかしそれと同じぐらい必要なのは「やめること」だ。

大切な活動だろうが何だろうが、いつかは「やめる」ときが来る。

僕は一度バンドも完全にやめるつもりだった。すべての機材を手放し、「ロックはもうごめんだ」と言いまくっていた。

この「やめる」というアクションだが、仕事や部活、恋愛も同様である。

たとえば興味を持っていたのに実際にやってみたらダメなことなんてモリモリある。

向き不向きはあるし、意欲が保てないことだってある。振り返れば合っていなかったことの方が多いぐらいだ。バイト時代、ローソンもマクドもクビになった。家庭教師は三人受け持って三人不合格だった(家庭教師は向いていると思ったのだが)

向いていないことに携わるとき、「つらいのはみんな同じ」などと我慢するひとが多い。そして文句を言いながら惰性で続けていくのだ。

個人的にはだが、捨てちゃって、さっさと方向転換するのがいい。ケースバイケースだが、全くできないことをできるようにするのは、果てしないエネルギーを使う行為だからだ。

時間は貴重だ。その時間を苦しみながら過ごすと、本当にもったいない。

もちろんどんな好きなことにも嫌なことや、退屈なタイミングはある。「仕事最高!毎日楽しくて仕方ない!」なんて状況はない。皆無だ。

人間なのだから、いつか飽きる。マンネリ化する。冷める。仕方ない。

もちろんすぐにやめるのも軽率は軽率だ。ではどう判断するのか。

だから「ちょっとしんどい」とか、「やりおわったら満足するだろうな、俺」と想像できるような苦難には挑戦しといた方がいい。多少の無理や多少の無茶は自分を強くする。

苦しすぎるのはキツイが、「ちょい苦しい」ぐらいは成長につながる。成長というとウザイが、強靭になるには負荷が必要だ。強くなっていかないとキツイ。弱いと死んでしまうし、何も守れないし、何でもかんでも逃げている人間に魅力などない。

かと言って苦しさがキツすぎると残念ながら強くなれない。苦しみながら、病を患い、弱まってしまう。

死ぬぐらいなら「やめる」のだ

やめるっていうのは、じつは「続ける」とか「頑張る」より難しい。人事も「やめさせる」方が難しかったりする。

「やめる」というのは「自分が過去に下した判断が間違っていた」と認める行為だ。「やめさせる」も自分が一度信じた過去を否定する行為に他ならない。

だが気にしても仕方ない。人生はやってみないと分からないイベントだらけだ。

それで敗れたとしても後ろめたさを感じる必要はない。挑戦してて敗北から特性や色が付いてきて個性が生まれてくるのだ。ギターの音作りも引き算で作っていくのが基本だ。まずはつまみフルテンで出してみて、ポテンシャルを探っていくのだ。

「ロックをやめる!」と言っていた過去を否定し、まだステージに立っている自分としては、「やめる」ことから逃げない姿勢がずいぶん人生を豊かにすると思っている。

いつでもやめれる。だからこそ新しいことを試せるのだ。始めて、試して、続けるか辞めるか計っていくを繰り返していくことだ。

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