【求職中の表現者たち】の価値観

バンドをやる上でどうすれば、繋がりが閉鎖しないか。違う世界、違う位相のひとと連帯して、力を貸してもらえるかが重要になる。


一週間に10人ぐらいの初対面と膝を突き合わせている。

9割以上がバンドだと芸人だの役者だのをやっている。僕の人生はどこまでもマトモな標準的ライフコースの人間との接点がない。

話の内容は「開業したい!」という相談だったり、「何すりゃいいかわからんですわ!」だったり「お前に会ってみたかったから!」だったり、ごくごく自然と「この商品を買うと連鎖してですね!孫会員のお金も親であるあなたに!」とマルチの勧誘だったり。とにかく様々である。

まぁそうは言ってもほとんどが自分の会社の面接になる。

大量の初対面に会うことでいつの間にか人見知りじゃなくなった。

「わたしは人見知りじゃないです」なんてのは能力者だ。しかも少ないと思うので、これは僕のちょっとした自慢である。初見大歓迎である。

そして僕がよく会うのは【求職中の表現者たち】という独特の属性のひとたちだ。

このカテゴリの人間とめちゃくちゃ会うので、ある程度、共通点が見えてくることがある。共通点というのは「今の20代ってこんな感じだな」などというものではなく、自分の中に湧き上がる気持ちだ。 しょっちゅう自分の中に湧き上がるのが「勝利する尋常じゃないほど楽しいよ」だ。

多くの求職表現者たちが

✅自分らしくいたい
✅こだわりを通したい
✅やりたいことをやりたい
✅本当の自分に嘘をつきたくない etc……

みたいなことをおっしゃる。というかそういう類いの海に溺れている。 本当にその自分の求道を楽しんで没頭するのではなく、爆裂に葛藤しているのだ。

この葛藤は「それだと結果が出ない。何者にもなれない。箸にも棒にもかからない」という苦悩と連結している。もちろん苦しむのが悪いとかそんな話でもないし、求道している生き様なんて責められるようなものでもない。

ただ、求道やこだわり、プライドの保持に比べて、『勝利』の価値がものすごく低く感じるのだ。

「曲げたくない」という論調はほとんど全員が言うのに、「負けたくない」とか「勝ちたい」とか「上に行きたい」とか「成功したい」みたいな相対的俗っぽさの主張は聞こえてこない。清貧なかんじがする。

そんな美しい話を聞いていると自分はどうだっただろうか、はたまた今現在の自分はどうだろう…と思ったり思い返したりする。

僕は25才で『勝つまでが戦争』という勝利中毒者のような音楽を作って恥ずかしげもなく人前で歌っていた。これは時代や若者の変化ではない。なぜなら当時、そんなに勝利勝利と勝利優先主義の同世代は見つからなかったからだ。完全に頭がおかしかった。

今も「勝てる勝負しかやりたくない」とは言わないが勝算が見込めないことはどうにもやる気がわかない。

「楽しみたい」と思っていることならば楽しめたらその時点で勝ちだ。

もちろん「勝利のためならばすべてを捨てる」なんて考え方はどうかとも思うが、あまりにも勝利を度外視するのももったいないと思ってしまう。

「自分らしさを捨てなさい!」なんて思想転換ではなく、「一回だけ試しに勝ってみたら?」ぐらいの話なのだ。僕自身がビルゲイツ的人生の勝利者というわけではまったくないのだけど、いくつかの勝負に勝ったことでいろんなものを手に入れた。もちろん負けたときは失った。

お金だけでいうと、お金があれば失わずに済んだものや、お金があったからこそ繋がれてきたものがある。

「金なんざなくても繋がれる関係!」というのは美しいのだが、僕が従業員や取引先に対して、「今月もありがと!まぁでも金は払わないぜ!いいよな!?これからもよろしくな!」と言うとたぶん闇討ちに会うだろう。

僕たちはそれぞれの人生がある。

だからこそ互いに介在する利益、メリットを共通記号にしてお互いの時間や能力を交換しあっている。これはバンドメンバーでも家族でも恋人でも友だちでも同じことだ。金銭だけではないが、与えるものがなければ繋がることは難しい。

これら自分が連隊している人々が豊かになっていくためには、勝利が欠かせないんだと思う。

だからか25歳ぐらいから「勝ちたい。どうやったら勝てるか。勝ちたい勝ちたい勝ちたい」としつこいぐらい遠吠えていた。自分の無力さでいろんなものが壊れた過去を打ち抜きたかった。

声をあげているうちにプライドとかこだわりみたいなものは不思議と消えていった。そんなことより、何も残せないで、何も与えられない自分になることが嫌だった。そこに対するこだわりだけはずっと残存している。

そうすると不思議なことにいろんなひとが力を貸してくれるようになった。彼らはこだわりやプライドを語ることじゃ出会えなかった位相に住んでいる人々だった。

音楽を続けていく上で、本当に外の世界は重要な要素だと感じる。閉鎖した価値観、マーケット、予算感、自分個人の人間としての広がり。絶対に一つの世界から答えを出そうとしないほうがいい。答えなんて無数にあるし、式だっていくらでも書ける。

こうなってからやはり生きるのは楽しくなってきた。 勇気を出して今日、あした会うひとには言ってみようかなと思う。「うーん。まぁ一回、試しに勝ってみたら?」と。

【何者かになりたい。だけど表現に嘘をつきたくない】の本を書いてます。最近また売れてる。


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