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希望を語り不満を語る

努力している人物は希望を語り、怠けている人物は不満を語る。

こういう言葉があるが、得てしてその通りだ。

ただ、「人物」というのはどうだろうか。どんなひとにだって、努力しているタームと怠けているタームがあると思う。

中学自体は頑張り屋だったが、高校になって怠けだして成績が地の底まで落ちたというひともいる。そして成人してから覚醒して、大成功。こんなストーリーはなんとなく聞いたことがある。

自分の中でも「やっている時期」と「やっていない時期」がある。もっと細切れにすると日ごとに異なる。やれた日もあればやれなかった日もある。

そして「やれた日」というのは希望で満たされるし、「やれなかった日」は不満がちになる。それだけだ。

ただ、大切なのは「ダメだった日」の心持ちではないかと思う。いかに不満に思わないかが重要だ。

その日、怠けたのは仕方ない。もう取り返しがつかない。だけどそこで不満を持つか、「俺のせいだ」と思うか「まぁ俺にもこういうときはあるわな」と思うか、「あしたはいい日にしたいな。どうしよう」と思うか。レスポンスの種類は無数にある。

僕は『文句言い』のひとは絶賛苦手だが、その心理状態はわからなくもない。ただ、『文句言い』が激しくなると、電車で腕力で劣るひとを斬りつける。これはもうぶっ壊れているレベルだ。

十年に数回ぐらい通り魔みたいなのが現れる。

僕の地元、神戸市は通り魔のメッカだ。

通り魔に怯えながら、通り魔に遭わないように生きてきた。彼らの心理はよく分からないが、その存在の本質は「不満のバケモノ」だ。

希望を持てず、不満がインフレして、不満状態がニュートラル化したのだろう。

「不満を消し去るために何ができるか?」と問われるとまた別の話になるが、「消し去りたい」と内省できているなら問題はないだろう。

消し去るしかない。そしてすべては不満を消し去るために流れていくはずだ。

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