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日本一有名なDJとストーカーと自由と孤独の話

AIは人工知能らしいが空気は読めない。

もう八月が終わろうとしている。夕方になると夏が生き絶えた感じすら覚える。風情を読み取れない僕のスマホにはAIが算出したであろう韓国DJセクハラ問題のニュースばかり飛び込んでくる。

最近は「そんなエロな格好してるのが悪い。触られにいってる!」と「格好とかじゃなくて犯罪者が悪い!このエロが!」というどっちが悪いねん論争のニュースが多めになってきた。

スマホの持ち主である僕はこのDJセクハラ事件について興味はないのだが、異様なほどこの論争を読まされる。そのせいで被害者DJの顔と名前を覚えてしまった。

著名なボーカリスト、アスリート、コメディアンは世界中にいるが、「DJ」という職業で有名人ってあまりいなかったんじゃないだろうか。ならば彼女は「DJプレイヤー」というジャンルで初めて『著名人枠』に入ったことになる。瞬間最大風速は「松本人志」ぐらいの知名度になっている気さえする。間違いなく今、日本で一番有名なDJだ。

それにしても『どっちが悪いねん論争』はいつの時代も視聴率がある。

「これは男が悪い!」と思うひとの世界では絶対に男が悪くなるし「これは女が悪い!」と思うひとの世界ではそれが正しい。

答えの出し方は見当たらないわりに双方の想いに絶対的信念があるからこそ、みんなが討論したくなるのだろう。

似た話として僕の知り合いにストーカー気質の男がいる。こいつが本物のストーカーになり、警察に確保されたことがあるのだが当の本人の言い分は「俺が悪いわけではない」だった。

彼はストーカーの共通特徴である「思い込みが激しく気弱」という精神性を持っているので、「あの女が思わせぶりな態度をとったのだ。好きってことだ。だから俺も好きになったのだ。なのに彼女は俺を裏切った」というロジックになる。

笑い話のような思考回路なのだが当の本人はガチである。被害者からしたらたまったものではないし、僕たち外側の人間からすると100%犯罪者であるストーカーが悪い。女子の世界で「ストーカーはキモお」となる理由はこの思い込みのすさまじさにある。

でもストーカーの世界では「俺は悪くない」という信念がある(ただ、その信念は怒られたり捕まったり起訴されそうになったら「ごめんなさい、もうしません」などと泣きだす程度のものでしかない)

信念がある人間は異様に攻撃的だし、その信念を汚す相手に容赦がないし、過剰に「俺が正しい!」と思っている人間は危険だ。「あっそ正しいんだね。正しくないぐらいなんだよ我慢しろよ」と言いたくなる。

でも我慢ができないのだろう。

20代の頃には感じなかったのだが、我慢が苦手だと本当にこの世に居づらくなる。世間は僕たちのお母さんではないので、我慢が足らないと世の中からすぐに距離を置かれる。

「我慢は不自由だ!」と強く思っていたこともあるが不自由とは「連帯」だ。言い換えるなら自由とは「孤独」だ。

たとえるなら会社や学校に行かなければ自由だが孤独なわけだし、恋人がいないほうが自由なのだが孤独なわけだ。反対に社会や異性との連帯を結んでいると不自由になる。

極まっていくと犯罪やマナー違反をしていくと、義務や責任を放棄すると、世捨て人になると、死ぬと、自由になる。

そう考えると「不自由なこと」のほうが豊かなこともたくさんあるんじゃないだろうか。

でも我慢できない人間というのは変われない。

やっちゃいけないことをやっちゃいけない年齢でやる人間は死ぬまでやり続ける。
こういうひとはどこかで消されたり潰されたりするのだが、これもまた一つの生き方なのだと思う。夏が生き絶えているようにこの世から音も立てず消えるだけである。

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