閉鎖空間に人間を密集させる話

イジメだのなんだのが未だになくならない。当たり前なのだ。じつは閉鎖空間がある以上、絶滅しない。

じつはイジメが起こるシステムは、専門家らによって解明されている。

「閉鎖的な空間に人間を密集させると、人は人をいじめるようになる」のだ。

これが本質であり、ここをサポートできればクリアらしい。

でもわかる。
子どもでも社会人でも、断絶された精神的密閉に閉じこれば同じだ。

閉鎖環境は民法刑法の存在すら薄くさせる。「暗黙のルール」なんてものの方が、強いように錯覚してしまう。


じつは学校生活というのは、子どもたちに凄まじいストレスを与えることが知られている。

同じ年代に生まれたというだけの他人同士を、集団生活をさせるのだから当然だ。

さらに授業という、個人の能力差を無視した集団学習に強制参加させられ、刑務所のような集団摂食と、班などのグループ分け、掃除などの労働を強いられる。

こんな高ストレスな環境に人間を放り込むと、人間は何かしらの優劣や序列を大義とし、自らを「看守役」と「囚人役」に分ける。

会社でのイジメに関しても同様だ。年齢は関係なく、我々サピエンスは他社への危害でストレスを緩和する。

閉鎖レベルと強要性が高い環境ほどイジメは生まれやすい。

スタンフォード監獄実験のような環境下に置かれれば、誰しも狂う。怪物化する。

だから「辞めちまえる」というのは大事だ。辞めるっていうのは、外の世界とつながるということと同義になる。

イジメなんて一般社会ではそもそも発生しようがない。道端やスタバなんかで起きようが無い。閉鎖空間だからこそ起きる特殊なコミュニケーション・アプローチだ。

みんな勘違いしているけど「出れないコミュニティ」なんてこの世には無い。

バンドは解散できるし、夫婦は別れられるし、親子は縁が切れるし、その気になれば性別だって転換できる。

僕は学校も終身雇用も、もういらないと思っている。

というより、行きたいひとやそうしたいひとだけそうすればいいんじゃない?と思う。サービスとして提供するのはアリかもしれない。コミュニティとしてニーズがあれば供給すればいい。ただ民営化した方がいい。国がやると面白くなくなりすぎる。

旧態依然のサービスやインフラは、ネットやスマホが無かったから仕方なく使ってきたツールだ。

だけどもはや協調性が無くても楽しく生きていけるし、集団生活ができなくてもやっていける。「学校に行っていろんなひとと関わらないと社会でやっていけない」はもう過去のストーリーだ。

発達障害だろうがコミュ障だろうが、うまく生きているひとを僕は何人も知っている。ていうか学校なんかで彼らの障害は改善されなかった。

もはや仲良くしたいひとと、仲良くして行きたいところに行くのはそんなに難しくない。関わりたいひととだけ関わっていれば十分だ。「そんなに人生は甘くない」もこれまた90年代以前の話だ。

ちょっとの勇気だけだ。こんなローリスクハイリターンなことは無い。出て行こう。やめちまう。捨てちまおう。

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