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いろんなことが叶うは叶う。少しだけ形は変わるけど、叶うは叶う。

「15のまま」という新曲をリリースした。

14,15歳ごろから音楽を続けてきた。

こういった芸事げいごとは「いつまで続けるか」というリミットが重要だ。よくよく「30までに売れなければ……!」とか言うではないか。上限がないとズルズルいってしまうし、緊張感もなくなるのでフワフワした生き様になってしまうわけだ。

僕ももちろんちゃんと立てていた。27歳までにしようと思っていたのだ。

理由は「27になるとロックスターは死ぬ」という話のせいだ。なぜか僕は「俺もそんぐらいで死ぬはずだ」と思いこんでいた。もちろん本気でそう考えていたのではない。というより、たぶん27歳より先のことなんて考えたくなかったので目を背けていたのだ。

なんとなく「ここらへんで死ぬ」と感じていれば終わりが設定された気がしてラクな気持ちになったりしないだろうか。地獄のような部活も3年間だから耐えられる。やはり「永遠」というやつは時々人間をうつにする。しかし今やその27という年齢を余裕で超えてしまった。

ちなみに音楽を中心に置く暮らしは決して美しいものでもない。15の頃の僕はそんな日々に憧れてはいたし、事実そうなったのだから叶うは叶ったのだろう。

何かを目指している道程も悪い気はしないし、「夢」などと言えば聞こえもいい。

しかしこいつがクセモノで、「夢」なんてものはある一定の時間が経つと自分だけでなく、その周りも不幸に焼き尽くす副作用がある。

お金とのバランスや将来との戦い。それらを犠牲にして追いかけ続ける価値があるのかも分からなくなる夜の増加。夢に熱くなっていく時間はかけがえのないことなのだが、その情熱の火力があればあるほど、その被害もまた深刻になってくる。

かと言って見苦しいだけでもないし、いろんなことが叶うは叶う。少しだけ形は変わるけど、叶うは叶う。見れない景色は見れるし、あしたは23:56ぐらいからテレビ(TBS)にも出ているし、出会えなかった人々と縁ができたりもする。

それでももちろん苦しいことは多い。音を楽しむと書くのに、泣いていた時間のほうが長いんじゃないかとさえ思う。

だけどどんなに日々がひどくても、仮にゴミクズみたいな毎日だったとしても、「生きてて本当に良かった」という日がある。何年かに一度ぐらいしかないのだけど、歌っている中でそういう日は必ず訪れる。それだけで十分やっていけるのだ。人生というやつは。

27は過ぎてった 音楽は続いていた
美しくもないが見苦しくもなかった
昔が恋しくもなった今が寂しくもなった
泣きたい日も痛い日も歌に溶けていった

15のままいたいよ 心ぐらいは
ビザ切れを起こしたまま大人の国で15のまま
叶うは叶うよ 形を変えて
楽でもないがよかった生きててよかった
15のまま続いていく

行けるところだけ行ったし
見れるものだけを見た
行けない見れない成れない自分を知った
あなたが恋しくもなった君が愛しくもなった
傷付いて気付いたことで築いていった

今日のことも僕らいつか忘れて
懐かしむこともできずに
毎日が毎日の続きみたいで
懐かしむこともできずに

15のままいたいよ 心ぐらいは
ビザ切れを起こしたまま大人の国で15のまま
叶うは叶うよ 形を変えて
楽でもないがよかった生きててよかった
15のまま続いていく

27は過ぎてった 音楽は続いていた
美しくもないが見苦しくもなかったから
続いていく




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