もう少し頭を使って生きないといけない
乗り越えられない壁はない!
という言葉がある。事実ならばこんなに嬉しいことはない。あらゆる困難のクリアが約束されているということだ。
この慣用句の意味をもう少し深掘りするなら「どんなに不幸に感じる出来事でも、自分が越えられない壁は決してない。それは逆に言うと、少し努力すれば必ず越えられるようなものだということで、もし避けて通ればまた何度も形を変えてやってくる」になる、と解釈している。
そして僕はこの言葉がわりと真実に近いと思っている。
なぜなら小学生の頃から抱えている問題は何度も未だにやってくるし、一度立ち向かったトラブルが何度か襲ってきたことがあるけど、やはり怖くない。
人生にはゲーミングシステムがある。簡単ではないが工夫すれば進めるようにできているし、直らない欠点は抱えながら歩んでいかなきゃいけない。
この欠点をだましだましやるのもアリだし、改善するのも自由だったりする。
人間の生活をやるのに法則性があると気付いたのはつい最近のことだ。
「コツを掴めた」と言うと語弊があるのだが、少なくとも人生にはある程度、法則らしきものがあることを理解した。これは察しが良いのではなくて時間の為せる技だ。
十代、二十代を終えて僕も三十代になったわけなのだが、多くのひとが「三十代になってから人生は面白い」と言う。
データがあるわけではないが、たしかに十代のうちから「人生は最高だ!」などと言っている人物は少ないように思う。もし存在するならば、命のありがたみをしっかり勉強しているか、人生を何周かしているか、馬鹿かのどれかではないだろうか。
十代という季節は基本的に何もかもがくだらなく思え、不平不満ばかりであり、世の中に対する怒りが胸のうちに充満している。
二十代は個人差が出てくるところがあるが、大半の人間は何者でもなく、「こういうことをやりました」という軌跡らしきものはゼロに近い。というよりその道程にある。
だからこそ、そこから辿り着いた三十代はやはり面白いのだろう。
四十代のひとからすると、「二十代から三十代の差」が大きいそうだ。四十代が悪いわけではないのだろうが、それだけ人間の若い頃というのは不遇が多いのだと思う。そして若い時期は自分の三十代、四十代が見えないどころか想像もできない。若くして自殺してしまった友人が何人かいるが、そのほとんどが今現在だけじゃなく、将来に絶望して散っていった。
ではいざ三十代になった自分に当てはめてみる。
仮に子どもの自分から「おい!幸福になったか?」と問われると残念ながらそうでもない。もちろん二十代の完膚なきまでの絶望感と比べると明るいが、じゃあ「幸福か?」という直球な質問を食らうと、YESとは答えられない。
これは恵まれていないわけではなく、ある程度の人生のプラン、抽象的目標、喜怒哀楽を感じる習慣、幸せの定義などを考える力を僕が養ってこなかったからだろう。
何が喜ばしくて、何が哀しいのかを考えずに生きると人間は歪な成長を遂げてしまうものなのだと思う。
もちろんお金や時間は十代の頃よりは自由になる。手に入らなかったものが、いくつか手に入るようになる。
でもこれは基本的に長く生きると経験と知恵が付いていくので、当然のことだ。反対に十八歳の頃は知能ゼロだった。収入源はピンクチラシの投函で、月収五万で家賃六万の家に住んでいた。
当時のポテンシャルから比べると今は富豪と言ってもいい。
だけど「幸せになったか?」に対してYESがポンと出てこないのはなぜだろう。おそらく肝になるのが「物質的な充足で心が満たされるか?」だ。
「モノによって幸福になる」と信じていると、かなりむなしい結果に陥る。「そこには何もない」という現実しかない。
この世のすべての贅沢を味わったわけでもないが、二千円のランチと三百円の蕎麦で幸福度が六倍変わるわけでもないことは分かるし、月収五万から二十万になったら、四倍幸福になるわけでもない。
大切なのは「何が喜ばしくて、何が哀しいのか」ということなのだろう。この問いは向き合わないとならない『壁』なのだ。
「人生、乗り越えられない壁はない」という言葉よりも「乗り越えなかった壁は後々ツケとして回ってくるよ」という言い換えのほうが僕はしっくりくる。
当然そんなもの考えなくていい時期もある。
「何が喜ばしくて、何が哀しいのか」なんて考えながら、エロいチラシを投函しているやつがいたらアホの極みだ。
それなりにがむしゃらに生きないといけないタイミングが存在するというだけだ。これは知恵やアイディアという段階ではなく、走り込んでいる時期なのだ。いくら賢くなっても実行する地力が無いとうまくやれない。力を蓄えるためにピンクチラシをポストにぶちこむのだ。
ただどこかでは、頭を使わないといけないのだと思う。
自分はどこに行きたいのか、どうしたいのか、そこに行くとどういう感情になるか、そして何が喜ばしくて、何が哀しいのか。
僕はそこらへん何も考えないで人生をやってきた。「もう少し頭を使って生きろ」と医者に言われた。
考えるだけで健全な精神が宿るほど甘くもないが、少しでも良くなればとも思う。
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