孤独なパーティー野郎
ここnoteを読んでくれるひとがいる。YouTubeやTikTok全盛期なのに。
『読解』というカロリーを使う作業をして頂いているひとへ、言いたいことがある。
読むって疲れませんか?
だって動画と違って、読み手ががんばらないといけない。
読み手が「読むぞ!」と取りかからないと始まらない。このしんどさは動画にはない。
でも、だからこそ僕はnoteやブログが好きなのかもしれない。
読書もそうだが、noteはとても能動的なメディアなのだと思う。
本をプレゼントすることはできても、読書をさせることはできない。馬を水飲み場に連れて行くことはできるけど、水を飲ませることはできないのだ。
そもそも「読む」という行為自体が創造的すぎる。
書かれている世界を、自分の脳みそで組み立てないとならないのだ。しかも一人ぼっちで。
これは孤独だ。じつに寂しい。
逆説的に考えると、「書いたひと」と密接につながり合えるとも言える。
『独りで書いたひとと、独りで読むひとがジョイントする行為』などと思えば妙にあたたかい。
noteなんてみんなで書くものではない。みんなで読むものでもない。どちらも独りだ。
こういうものを喜ぶのは、群れることに慣れた頭ではつらい。
だけどその後におもしろいことが起きる。
何かしらを読む。自分や他者に当てはめる。世界の中で自分が何者かと考える。
客観性みたいなものがフワッと舞い降りる。
そう思うと、孤独は怖いものでもないのかもしれない。
誰とだって繋がっていける一番豊かなシチュエーションだ。独りぼっちなやつこそ最高のパーティー野郎だ。
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