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哲学でできている町、高円寺


高円寺にいた。
大阪インスパイア系の串カツチェーンに入ったのだが、店内はもう東京でもなく大阪でもなく「ここは高円寺だ」と空気が絶叫しているぐらい「高円寺」だった。

串カツやお好み焼きのチェーン店は「大阪発祥!」が多い。そしてラーメンならば「博多から来ました!」「札幌在住です!」みたいな謳い文句の店が多い。これらが東京の至るところに並んでいる。もちろん土佐料理屋もあれば、沖縄料理屋もある。

マクドナルドやケンタッキーがたくさんあるからと言って、いまさら「ここはアメリカなんでしょうか?」と思うことはないが、日本各地方の料理店がずらり並ぶと「うーむ。何でもある。さすが東京」と圧倒されてしまう。

東京というのは、我々上京者からするとその人間をを引きつける重力場の影響なのか、「地方感」が少ない。

新宿、渋谷、下北沢、中野、上野、浅草で生まれた方からすると、僕たちみたいなのが日本全国から集結してきて、うざったいことこの上ないんじゃないだろうかとたまに思う。

そんな人間が集まってくるぐらいでイラつかないのが東京のスマートなところなのかもしれないし、「地方感」なんて概念自体に囚われていることこそ「田舎者」なのだとも感じる。

東京の方々にそんなアホなことを言うと「なんで皆が集まることをうざったく思うと考えるの?なぜそんな風に思うの?」と哲学的に問われてしまう恐怖でまいってしまいそうになる。

もちろん哲学はありとあらゆる前提を疑うことが許可されているから答えないといけない。

僕は「領土とか縄張りとかさ!」と文化人類学的な見解を返してしまうのだろうが、東京で生まれし人々は「自分たちは決してそう思わない」と言う気がする。

なぜなら東京は村とか県とか藩を超越しているからだ。

江戸時代から将軍より一万石以上の領地を与えられた大名の領地を『藩』という。つまり江戸、現代の東京は『藩』ではないのだ。

大阪、名古屋、博多、札幌らとはくくりや次元がまったく違うと言える。

そんな関ヶ原の頃から三百年続いた「与える東京と与えられる地方」のDNAが刻まれているのかもしれない。「上京してくる連中がいるけどありゃ参勤交代だ」と遺伝子がささやいているのかもしれない。

こういうひがみ根性話を東京生まれのひとにすると、苦笑いされてしまうので控えているのだが、高円寺という町に至っては異様に地方の香りがする。

串カツ屋を出ると、鉄のような冷たさの風が吹いていた。

駅に行くと乾燥して透ける空気と灯りに高円寺駅がくっきり浮かんでいて、巨大な檻に見えた。高架下にストリートミュージシャンがいた。こいつがまたヤバかった。

新宿や下北沢、渋谷でもストリートライブは行われている。しかしジャンルは基本ロックやポップスになる。カバーなども多い。今風に言うと「歌ってみた」というやつだ。
道ゆくひとに足を止めてもらいたい、聴いてもらいたいので、みんなが知っている曲を歌うのはストリートライバーにとって一つの戦略だ。

しかし僕の目の前にいた男はオリジナルのブルースを歌っていた。何曲か聴いたがすべてブルースだった。永久に『ジャッジャ・ジャッジャ・ジャッジャ・ジャッジャ』とブルースのリズムを刻んでいた。

「道でブルースをる」という行為がどれほどヤバイのかと言われると、ミュージシャンとしてはもう例えられないほどにヤバイ。

「自分の体に火をつけて走り回っている人物」と思ってもらって差し支えない。

それぐらいブルースは体当たりなものだ。音楽とか芸術とかそういうものを超越している存在だ。

しかもやっているのは生半可なブルースではなくガチのブルースだ。リスナーもブルージィなやつらばかりだった。立って聴いているひともいない。全員が地べたに座っている。

ブルースという音楽の起源は奴隷にある。アフリカ系民族が黒人奴隷として捕らわれ、その哀しみから生まれた。

高円寺の高架下のその一部だけ、時が十九世紀で停止している。地べたにへたりこんだおっさんが何人も泣いていた。これは完全にブルースとして成立している。

演奏が終わるとギターケースを持っていないのか、そのブルースマンはギターを裸のままムキ出しで担ぎ、そのままどこかへ行ってしまった。

駅前に目をやるとストリートミュージシャンが何人もいた。あちこちでブルースが行われている気がした。その中に道で曲を作っているやつがいた。もはや道が作ってきたものをやる場所ではなく、作る場所になっていた。

何が生まれているのかは見当もつかないが、ここはいわゆる概念としての「東京」には当てはまらないと思った。

次第に駅前中のミュージシャンがひとり、またひとりと演奏をやめていく。ブルースは鳴り止み、次は「東京って何?」とどこかから哲学の声がしそうだった。

あちこちの飲み屋がたらふく人間を飲み込んでいるのに、全然やかましくなかった。あのにぎやかさは町自体が哲学でできていることによるものだ。

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