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暮れゆく関係

別れという現象を、ある程度予測できる能力を持つ人物がいる。自分はそれだ

僕たちは「いつか別れなくてはいけない」という不文律の中で出会うし、過ごすし、働いたり遊んだりする。でもその時間にはやがておしまいが来るし、人間をやる以上、これらの淋しさを引き取らなくてはいけない。湧いた感情から目を背けてはならない。

「そろそろ別れなんだろうなぁ」という勘が変に冴えているせいで、これは比喩だが「この関係いよいよだぞ」と幻聴まで聞こえる。空もいつもより高い位置にある気もする。台風の翌日みたいな天気が続いている記憶のバグまで起きる。

でも終わりに勘付いていても、「痛みを少なくする」という姿勢は取らないようにしている。

対象相手を嫌いになったり、距離を置いたり、興味をなくすフリをすればダメージは薄れるだろう。

でも「あいつと過ごした時間大した意味なかったわ」という感想を持ちたくない。泣いても苦しくても、うつになっても痛みを味わいたい。惜別の激痛に麻酔するのは、過ごした日々を貶めている気がするのだ。

暮れゆく関係に明かりを当てるのは、大切なはずなのに、そういうことを変にぼかすからみんな少しずつおかしくなって、なんだかわけが分からなくなるんじゃないだろうか。

ケジメのあるなしを人間関係に持ち込むのが良いか悪いかは分からない。だけど少なくとも僕は離れ離れになっていくひとに対して、明確にシャープに哀しんでいたい。

自分を構成している分子は、別れたひとで出来ている。そしてきっと学んだ何かを、今隣りにいるひとたちに還元しているのだと思う。

別れると、相手の人生において、自分の人生はただのスピンオフになる。彼らの記憶から僕は薄れていくし、彼らは新しい誰かと出会って笑いあって、日々は覆い重なっていく。

こういうものだし、こういうほうがいい。「そのひととの組み合わせ」は世界に一組、相手は常にお互い世界で唯一。そこだけはかけがえのない聖域なのだから、プレミアムで構わない。

でも関係を後生大事に持ちまくると腐ってしまう。

人間関係がかさばるとロクなことがない。希少でもかけがえがなくとも、過剰に気を使うと変になる。

手に持てるだけで出かければいいし、現地で得られるものを得ていたい。人生という旅を満喫するには荷物は軽いほうがいい。足りなくなれば、勝手に何かが手の中に収まる。そんなふうにして死んでいきたい。

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