喧嘩をマジで避ける方法!

「成人してから人間をぶん殴ったことがありますか?」

という質問があったら、残念ながらYESなのである。

気が短いのか、好戦的なのか、他人の痛みに鈍感なのか、はたまたそのすべてなのか。

自分の愚かさを棚にあげるわけではないが、今日は「人間の馬鹿さ」というのは侮れない、という話だ。

しかし時代を見ると、あまり暴力は有効でなくなった。馬鹿な僕も、非暴力時代の波に乗りたいものだ。

そもそも暴力で人間が死ななくなった。

過去数10年間は人類の歴史上、最も平和な時代だった。

農耕社会では人間の死因の最大15%、20世紀には5%を占めていたのに対して、現在では1%に過ぎない。

交通事故では年間125万人、糖尿や高血糖では350万人、大気汚染では700万人が死んでいるが、テロで死ぬひとは2万人程度だ。

砂漠やデブることよりも、テロを恐れていることがアホらしくなる数値だ。

戦争も完全に無くなってはいないが、減っている。

1914年には世界中のエリートは戦争に大きな魅力を感じていた。
何故なら勝つと経済が繁栄し、政治権力を伸ばせることを示す具体例に、事欠かなかったからだ。

大日本帝国は中国とロシアに対する勝利でアジアの大国になった。
ドイツはフランスに勝って欧州最強国になり、イギリスは各地で小さな戦争を勝ち抜いて、世界で最も大きく裕福な帝国を築いた。

アメリカでさえ、メキシコを侵略し、カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、コロラドなどの一部を占領した。

これらで1万3000人のアメリカ兵が亡くなったが、国土は230万㎢増えた。
フランス、イギリス、ドイツ、スペイン、イタリアを合わせたよりも広くなったのだ。

これは2000年紀で最も有利な取引の一つだ。
「1万ちょい国民死んで、かなりの領土が手に入ったぜ」というのは、コスパが良かったのだ。

そうして1914年には「戦争勝つとむっちゃ得やん」と世界中が思うようになった。

それに対して、2020年現在、戦争による成功は絶滅危惧種のように珍しく感じる。

日本ではヤクザの数も減り、「暴力」が成果と結び付かなくなってきた。アウトローだけでなく、世界中のエリートからしても、「暴力」や「戦争」には旨みがないのだ。

アメリカはイラクとアフガニスタンで何兆ドルも浪費した挙句、大失敗を経験した。

1945年以後、日本、ドイツ、イタリアが起こした経済の奇跡をみんなが見習うようになった。

ビジネスの繁栄と地政学的な影響力は、血を流すことなく、獲得された。

現在、地球の格闘場となった中東も同様だ。

戦争を起こして勝つ方法をみんな知らない。イランはイラン・イラク戦争からまったく得るものが無かったからだ。

もちろんイランは地域の覇権国になったが、これは勝利ではなく、戦わないことによってだった。

経済の性質の変化のおかげで、戦争におけるメリットが激減したのだ。

過去には経済的資産は主に「物」だった。

だから他国を征服し、裕福になるのは比較的簡単だった。
敵国民を奴隷市場で売り、麦畑や金鉱を占領して利益を上げられた。

ところが、もうこのやり方では、利益は大して上がらない。

現状の経済的資産は、もはや小麦畑や金鉱、油田でさえもなく、技術的知識や組織の知識から成るからだ。

年間GDPが20兆ドルを超える中国は、わずか10億ドルのために、戦争を起こして「物」を手に入れはしない。

戦争にかかる費用、失われた交易のチャンスを埋め合わすこともできない。勝利を収めても、シリコンバレーの富を略奪もできない。

AppleやFacebook、Googleには何千億ドルもの価値があるが、そのような富は力ずくで奪うことはできない。シリコンバレーには、シリコン鉱山などないのだ。

しかし、21世紀には「戦争が損する行為!」と分かっていても平和の絶対的保証にはならない。

自滅的なことを案外やりがちなのが人間だ。

戦後、敗戦国たちはかつてないほど繁栄した。

ドイツ、イタリア、日本は壊滅してから20年後、前例のないレベルの豊かさを手に入れた。

それならば何故、僕たちの祖先は戦争を起こしたのか。どうして、とてつもない数の死者と破壊をもたらさないと、ならなかったのか。

すべては「ミスってもうた・・・」という計算違いに過ぎない。

1930年代に日本の将軍、経済学者たちは朝鮮満洲と中国沿岸部の支配権を失えば、「日本のカネが死ぬ」と考えていた。

だがフタを開けてみると、彼ら全員が不正解だった。
僕たち日本経済の奇跡は、大陸に持っていた領土を全部失ってから始まったのだ。

「人間の馬鹿さ」は、極めて重要な要因だが、過小評価されがちだ。「人間の馬鹿さ」ほど怖いものはない。

政治家や学者たちは、入念で合理的な計算をしてきた。その計算に基づき、巨大なチェスの勝負のように、戦局を読んで、一手を選んできた。

駒をデタラメに動かすような、頭のおかしい指導者は歴史上、極めて稀だ。

東条英機、フセイン、金正日は合理的な理由に基づいて、それぞれのやり方を選んだ。

問題は世界がチェス盤よりもはるかに複雑で、人間の合理性では、本当に理解できない点にある。

そう。全然思った通りにいかないのだ。

だから合理的で賢い指導者でさえ、頻繁に馬鹿な選択をしてしまう。「人間の馬鹿さ」とは本当に怖いものだ。

じゃあどうすればみんな仲良くなるのだろうか。喧嘩をしなくて済むのだろうか。

これはもう、両極端じゃなくなることだ。

たとえば「戦争は避けられない!争いもゼロにすんのは無理!」と諦めると怖い。

軍を増強し、果てしない軍拡競争になり、譲歩を拒み、善意の意思表示さえも罠かと疑う。

こうなると争いは起きる。

反対に「戦争は絶対起きない!喧嘩も100%やんない!」というのも、これはこれでキツイ。

戦争がどこの国にとっても得にならないことは、みんな分かっているが、「人間の馬鹿さ」から、僕たちを守ってくれる神や法則は無いからだ。

「人間の馬鹿さ」の治療薬の一つは、謙虚さだろう。

国家や文化の緊張は感情的になって悪化する。

とにかくヤバイのは「俺の考え、俺の文化こそ最高!だから俺は正しい!みんな俺の考えになるべき!」という考え方だ。

これは国家レベルではなく、家庭、会社、友人、恋人、バンドレベルでも起きる緊張だ。

「自分の考え」について現実的で控えめになるにはどうしたらいいのだろう。

誰かを殴ったとき、傷付けたとき、きっと僕は「俺が正しい」と思っていた。

相手の不当性を突いて、自分の正当性を誇示しようとしていた。

謙虚になるというのは、じつに難しい。








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