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うつの心得。なったらこれで。

ちょうど5年ほど前に重たいうつになった。

発症は牛丼屋だった。

なんの気なしにいつも通り牛丼を頼む。運ばれてくる牛丼がカウンターに置かれる。箸を取る…というタイミングで箸が取れなくなったのだ。

なんというかものすごくめんどくさい。
体が重たい、腕が動かない、ダルいし苦しい。とにかく箸に手が伸びない。空腹な気はするのだけどその感覚も鈍く、ずいぶん長いこと牛丼を眺めていた。

結局、やっとのことで根性で自分を動かして帰った。自分の体なのにバーベルを扱うみたいだった。動いているのではなく、動かしているという感覚だった。
カウンターに1000円札を置いて一口も箸をつけずに冷めた牛丼はフードロスされた。

もう仕事的にも自分が使い物にならないことがすぐに分かったので、信用している人間に「いかん。動けなくなった。これはうつだ。しばらくたのむ」とだけメッセージを送った。後は家でひっくり返って、投薬して社会に復帰した。

そんな経験があることを僕は芸風にして、歌ったりnoteを書いたり小説を出したりしてきた。

そのおかげで精神病の相談がよく来る。基本的に大歓迎だし、うつは自殺につながる病なのでナメないほうが良いので早めに相談をもらえると嬉しくもある。
アルコール依存を併発しているパターンも多いが、これらは本当に危険だ。

まず第一に「うつはとにかく休むこと」だ。間違いなくどこの病院でも言われる。

もう一つ、医者でも何でもない僕の個人的意見、というか心得がある。「うつの心得」だ。
これは医者が絶対に言わないことでもあり、何の綺麗事もないので言いづらいのだけど……「男のメンヘラは本当に需要がない」ということだ。

ジェンダーレス全盛時代に述べることじゃないのだけど、生物学上、性別における違いはある。男は女より声が低く体が大きい。これらの違いは時に助け合う理由にも求め合う生理にも紐づいていて、その中に「男はつらいよ」と「女はつらいよ」がある。

そして「男のメンヘラの需要の無さ」はくらってみないと分からない。

なんていうか他人からしたら「うつになったから何だ」という話なのだ。

近しい人間にうつになられたこともあるが、仕方ないことだしお互い様なので、迷惑でもない。もちろん罪でもない。

ただ、男メンヘラをやっている時間、「不要とされている感」はひしひし感じる。肌身で分かるし神経が察知する。

「じゃあ女メンヘラは需要あるんかい」と聞かれたら別にそういうわけでもないのだが、どこかに受け皿や救済はあるように思う。何なら「かわいそう」と思う。

これは実体験なのだけど正直、男のメンヘラはかわいそうと思われない。「まぁ、休みなよ!」とは言われる。でもこれはそんなに心配されているわけではないのだ。

「また元気になったらよろしく!」というメッセージだ。つまり「治っていない不健康な君に用はないよ。僕が用があるのは健康な君なんだ。良くなるまで家にすっこんでなさいよ」とすごーく優しく言ってくれている。

「うつの心得」というのは幾つかある。
①寝る
②日光浴
③高タンパク
④断酒
⑤通院&投薬

とかでまぁ回復する。ずっと続くものでもないからだ。一年以上とかになるケースはあまり出くわしたことがない。

この傍らに「男のメンヘラはだめ」も置いておいてもバチは当たらない、かもしれない。男ならだけど。ヒトは自殺してもいけないのだけど、治さないのもこれまた生きる上できびしい。社会復帰までのロードマップがあるかないかは大きいというのが所感だ。

ウサギと成人男性は寂しさが閾値に到達すると死んでしまう。「誰かの役に立てている」という心の栄養は生きていく上で必要なのだ。非常口に避難するのはできても、その先にある貢献欲から永遠逃げ続けることはきっとできないのだ。

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