あのコーチとかあの監督とか

上京したばかりの頃、僕のまわりはあのコーチとか監督みたいなひとばかりだった。

ずいぶん前のことなのに鮮明に覚えている。

もっとさかのぼれば、親も先生もあのコーチみたいな、あの監督みたいなところがあった。

「だからどこに行っても救いは無い」と書いたら以上終了になっちゃう。僕は何かに抗いたくて音楽を作っているのかもしれない。そしてここを書き続けている理由もそれだ。

宮川くんの会見を全部見たけど、改めてすごい。

このタイミングで人前で顔出して、みんなの前で謝るなんて並大抵の精神力じゃない。

僕があの立場で二十歳ならどうだっただろうか。まぁ確実に飛んでいた。

たぶん怪我させた相手には謝りに行くだろうけど、「関係ないやつらに対して会見なんてめんどくせ」とか言ってる気がする。

「アディオス」とか置き手紙一枚残して飛ぶだろう。

それにしても、なんであんなことになってしまったのだろうと思った。

彼はあそこで、独り謝罪会見に立てるほどのハートを持った猛者だ。

普通に考えたら、悪どいオッサンの反則指示なんかに従って悪事に手を染めるだろうか。筋肉的にもやりあえば一捻りだろう。


やはり「ひとつのことだけやる」とああいうハメになるのかなぁ、邪悪なひとに利用されてしまうのかなぁと思ってしまう。

もしも彼が「アメリカンフットボールのひと」だけじゃなかったら、結果は違ったんじゃないだろうか。

外でITの会社をやっているとか、野球もやっているとか、クラブ遊びに夢中とか、勉強しまくっているとか。

今話題の安室透じゃないけど、いくつもプロフィールがある方が安全だ。

なぜなら「客観性」が手に入る。

自分が置かれている環境や慣習に対して「これおかしくね?」と気付けるようになる。

虐待されている子どもは「うちはおかしい」と気付けないらしい。その世界しか知らないからだろう。

子どもは「身体が大きくて、立場が上の人間は下を虐めるもの」というのが当たり前の世界で生きている。

もうこうなったら、親も一人の子どもにつき3,4人いた方がいいんじゃないだろうか。
お互いがお互いの監視するという意味でも、セーフティレベルは上がるし、養育負担も減る。

これしかない!と思っていたり、これしかない!に陥りそうな環境は極めて危険なのだ。

電通の自殺しちゃったひとや、未成年の自殺者、ていうか自殺者すべてに当てはまる。

会社がセーフティネットみたいになってるように見えるときがある。

そのセーフティネットから抜け落ちたら終わりだと言わんばかりだ。

解雇のハードルは高いから残業で引っ張りまくるし、精神的に追い込んで辞めさせようとする輩までいるらしい。

「会社を辞めたら終わり」と思っているひとたちはどんなヒドイ目にあっても辞めない。

心をぶっ壊してまで続ける必要のあることなんてない。

社会のセーフティネットは会社じゃなくて生活保護だ。

うちの親は「生活保護なんぞ情けない」とか言っていたが、こういうタイプの人間こそ危険だ。

くだらないプライドが先行して、いざというときに身動きが取れなくなる。高齢者詐欺に喰われて泣き寝入りするタイプだ。

働きたくなかったらニートでもいいと思うし、生活保護でも何でもいいんじゃないだろうか。

話を戻すなら、悪質なファウルを命じられて実行して、あんな心痛的な場に立たされるぐらいなら、やらなくてもいいんじゃないだろうか。

言うは易しだと思う。

でも邪悪な目上に利用され放題も悔しいじゃないか。

「おかしいこと」に従わなくてもいい環境を作ることって、身を守ることにつながるのかなぁと思う。

『閉鎖空間と一定量のストレス』が揃えば人間は凶暴性を増すという研究がある。

会社や学校もそうだろう。部活や家庭もリスクはある。

そんなとき、「いろんな居場所」を持っているひとは強い。おかしい場所を「おかしい」とちゃんと言える。

「おかしくない場所」のサンプルがあるので精神的な収監状態ではないからだ。

僕はどうだろうか。

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