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すべての例え話を野球にしてくる人間

僕は例え話が好きだ。
何かにつけ例える傾向にある。そしてその八割が「野球で言うと……」に変換される。

あなたの周りにもいると思うが、この世には何でも野球に例えるひとがいる。
こいつら(僕も)『野球例え族』は全人類に野球のリテラシーがあると思っている。アメリカの首都や徳川幕府の将軍のノリで、仁志と菊池と山田哲人を引き合いに出した例えを展開してくる。

そもそも例え話を用いる理由は分かりにくい話を分かりやすくすることだ。生きていると、お互いの認知レベルが合わないテーマについて語り合うシーンが訪れる。
生きてきた道程が異なれば、好きなことも知っていることも個人差があり、それぞれ違うのだ。同じ話題を楽しむには理解度をある程度は揃えないとならない。

例えば「就職するってどういうものなの?」という質問がフリーターから来た時に「正社員になることだよ」と答えるとする。
この回答では、理解を深めたことには繋がらない。

なぜなら質問者はフリーターであり、就職した経験がないからヒアリングしているのであって、そこに「正社員」と答えてもピンとこないからだ。

ここに例え話があると理解が高まりやすい。

「就職?バイトとあんま変わんないよ。部活とサークルの違いぐらい」
「就職?バイトとあんま変わんないよ。同棲と結婚するような違い」

みたいな話を用いるかもしれない。ここでは類似性、方向性は近いのだけれど、名称や制度上のしくみが変形することをうまく伝えれば何でもいい。

ひとによっては冒頭の「バイトとあんま変わんないよ」じゃなくて「全然違うよ」になることもあると思う。そうなると、例え話は「散歩と冒険ぐらい違う」とかになるかもしれない。

他にも部下がいるひとなら
「普通でいいんよ、そんな最高レベルじゃなくてもいいから、当たり前のことをやってくれる必要最低限の仕事をしてほしいんよ」などと思ったことがあるだろう。

それを誰かが聞いていたら「必要最低限の仕事ってどういうもの?」と感じるとする。世の中にはびこる『必要』というのは案外、定量化されていないものが多く、個人の主観であったりする。

このときに『野球例え族』は「ここで言う必要最低限の仕事とは、野球で言うところの打率.280/本塁打12/打点50/盗塁10ぐらいのことですよね!」などとのたまってしまう。

正直、野球を知らないひとからしたら意味不明である。数理的な分、説得力がありそうなのだが知らないひとからすると訳が分からなくなる。

もしもこのテーブルに野球好きが同席していたら最悪で、「それって1997年のベイスターズの波瑠ぐらいってことっすよねー!」などと脱線し始める。

「いやーやっぱ100試合ぐらいは出るってことが大事なんだよな!」
「出場試合数が出勤数みたいなもんすもんね!」
「まったく。最近の若いもんは!風邪ぐらいで休んで。金本(1766試合連続出場記録)を見習わんか(笑)」
「骨折れても出勤してヒット打ってましたもんね(笑)」

最初の質問したひとが置いてけぼりである。

当然だが、そもそもの話を困惑させるのならば、例え話はむしろ悪影響になる。例え話は「相手の持っている知識で言うと……」が基本だ。こういうことを書くことで、少しでも自分の例え話から野球の話が減ってくればと願っている。


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