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商いがなくてもやれるけど経済がないと表現は続かない

noteに「お金について考えていること」という募集テーマがやってきた。

お金の話は人類共通かつ書きやすいので、「手に入れ方」について考えてみる。「お金の入口」だ。

親の小遣い
親戚のお年玉
バイト代
古本などの古物売り
自販機の釣り銭入れ
固定給
時給
不登校を治した代
インセンティブ
失業保険
還付金
飲み屋にいる人にもらう
ギャラ
クラウドファンディング
ここnoteの課金
印税使用料
株式配当……

列挙するといろいろやってシノいできた感がある。それだけ世の中にはお金の手に入れ方、手段が無数にあって、「働く」という言葉の定義もその数だけあると言える。

お金の面白いところが手段に清貧があっても、額面に反映されないことだ。給与で得られた10万円も強盗で得た10万円も同じ額になる。
「強盗は犯罪なので5%悪行税を引く」という決まりも今のところない。

ここからお金には人格や意思、宗教的はものがないことが分かるし、偏った思想も入り込まないことも分かる。宗教戦争で殺し合っていた国同士がお金で一件落着になるのだから、彼らにとっての信仰は金こそが最強ということなのかもしれない。

そんな唯一無二、平等の象徴であるマネーだが、「お金についてどう考えるか」は自由だ。揺るがない存在だからこそ、それぞれの考え方を持つと個性が生まれる。

そのいろんな考え方を学ぶのに、便利なのが「いろんな手に入れ方」であり「お金の入口」だと思う。

たとえば小遣いでしかお金を得たことがないひとと自分で働いたことのあるひとでは後者のほうが「分かっている」だろうし、勤労所得しか経験のないひとと、不労所得も経験したことのあるひとを比べても、やはり同じことが言える。

入り口がいつも同じだと、お金に対して脳死する可能性がある。反対にいろいろなインカム方法に触れるとボケないで済む。

そして僕たちバンドマンや芸で身を立てている連中はいろんな「お金の入口」を経験しやすい(公務員のひととかはたしかバイトとかをする事自体ダメだった気がする。例外もありそうだが)

たとえば不労所得の一種である「印税使用料」というものがある。これはミュージシャンの中ではかなり身近な「賃金とは異なるお金の入口」だ。

「バイト代」と比べるとお金の流れがまるで異なる。「労働力を差し出して雇用主から対価を得る」という部分がゼロだからだ。

勤労に対するリターンで支払われるものではないのだ。「作ったあなたがいて、それを使用して金稼いだからお礼として払うね」みたいなテンションにあたる。

だからカラオケで歌われた、ラジオで流れた、だけではなくて、「テレ東で演奏した、ロッキンジャパンで演奏した」というのでもお金が入ってくる。

「RADWIMPSというグループが野田先生の書いた曲を演奏して、フェスのチケットが売れました。だからイベンターは野田先生が委託しているJASRACにお金を払います。後日、野田先生にお金を払っといてください」という流れなのだ。
野田先生が弾いて歌っているせいでややこしいが、『作家・野田先生』としては勤労せずにお金を得ていることになる。

野田先生と比較するとアリと木星ぐらい規模が違うので恐縮だが、この「使用料収入」に触れて、僕は「労働力を差し出す以外の選択肢があるんやのう」と感動した。

もう一つ大きな体験がある。クラウドファンディングだ。

クラファンは世の中では『募金』という印象が強いが実体は「リターン(支援すると貰えるものやサービス)の売買」というシンプルなつくりになっている。

「そこでしか手に入らない体験と製品」にニーズがあるのだから、限定スイーツやブランドの販売やオンラインサロンに近い。いかに壮大な目標を掲げても質の高いリターンを開示できなければ、お金は集まらないのだ。M-1グランプリ王者の芸人がやっても6万円という結果もあった。

クラファンの面白さは「売買の数と価格」にコントロールがきくところでもある。リターンの数と価格は自由なのだ。

未発表曲、映像、作詞原本、レコーディング参加。

こういった「市場に置いてどうこうなるものではないが、欲しいひとがいる」というものを売るフリーマーケットだ。

フリマなので、一般価格でなくても売れる。というより基準があまりない。反対にレコードショップのCD、コンビニにずらっと陳列されているパンや飲み物は価格が落ち着いている。どれも同じぐらいの価格帯だ。

CDなどはよく考えると不思議に感じないだろうか。レコーディング代やメンバーの人数も違うのにほとんど適正価格が一定になっている。原価が違うのに市場に出回るときに価格がフラットになる。原因は「市場に並んで」いるからだ。

これから価格と数量の自由化はNFTでどんどん膨らんでいくはずだ。サブスクでの呼び込みがかつてのFMラジオに相当し、かつてのCDがNFTやクラファンのリターン、ファンクラブのようなクローズドサービスになっていく。

違うインカムに触れるというのは、例外なく刺激になる。「額面が小さいから興味ない」というので引いてしまっては少し寂しい。触れるだけで、別の大金への糸口が掴める可能性もあるのだから。

「お金」という存在自体は手段であり、何かと交換することで意味をなす。

いくらお金があっても家が一軒も建っていなければ家賃を払って住むこともできないし、1億あってもそこにパンが無ければ食べることはできないので、交換するためのフィールドが必要になる。一般的にはこれが「市場」と呼ばれる。

この市場には売りたいひとがいて、買いたいひとがいる。「このマンションに住まわすことを引き換えにしても俺は金がほしいんだ」というひとが売り手がいるから成立するのだ。

「ライブをやることを引き換えにしても金がほしいんだ」というバンドがいるから公演は開かれるし、地球人全員が「ライブをやってまで金はいらないな」という思考になったら全部無料になるか、イベント興行自体が死亡する。

経済というのは大なり小なりあるけれど、基本的にひとや組織を生かす力がある。

「金がもらえるからやるぜ」ということではなく、お金の受け渡しがどこかで発生しないと無関係のひとが動かないので必要なのだ。

リハーサルスタジオであれ、ライブハウスであれ、YouTubeであれ、そこに入出金が発生していることで存在している。

商いビジネスがなくてもやれるけれど、経済がなければ、ロックバンドは表現を続けられないし、聴きたいひとはどこに行けばいいのか分からないし、動画を作って出す場所もない。

芸事という海では「宵越しの金を持たない」的な美学が時折りとされる。
そして金銭に対しての肌感や嗅覚リテラシーに弱いひとが一定数現れる。お金持ちとか貧乏とか数字の強い弱いではなく、思考を放棄しているパターンとして誕生する。こうなると美学とかではなく、めんどいから考えていないだけになってしまう。そして変なやつになる。

これは持論だけど、お金で変なやつになりたくなければ二十代前半で時給1500円ぐらいのバイトを経験しておくのが良い。

それぐらいあると「誰かに支払う」という立ち位置になるタイミングがやってくる。もらうだけでなく、支払うことを経験すると、その対象を活かす立場になる。

だんだん「俺個人の金さえ困らなければいいわけじゃないもんな」という発想になってくる。仕事を与えるひとになり、仕事を作るひとになるシーンが増えてくる。歌を作り、場を照らすことを生業なりわいにしていくのはそんな側面を伴う。商いと経済は異なる概念だけど、クリエイティビティはそこらへんにも転がっていたりする。

働く男たちを時給2500円ぐらいで募集している。音楽をやっているとなお良い。

時間:平日12〜19時、土日祝10〜19時
シフト2週間ごと
「平井仕事くれ」係まで。takurooohirai@gmail.com



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