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柔軟な人でいる方法

柔軟な人間でいたい、と多くのひとが思う。
「考えが頑固なやつね!」と思われたいひとは少ない。何なら柔軟=賢さとも言い換えられるからだ。「前時代的な考え方で、決めつけが激しい」というのは「馬鹿なおっさん」の特徴とも言える。

人類はそれなりに「年を重ねても柔らかくいられるか」というテーマと戦っているのだと思う。
その柔軟性をもたらす鍵が『自分の得意なことと深く付き合ってきたか』というものがある。「深いか、浅いか」だ。

たとえばバンドで言うならば軽音楽部で終わらすか、三十路過ぎても続けるか。
野球ならば、ただの野球ファンなのか、実際のプロ野球選手まで到達するかみたいな話だ。

前者と後者を比較すると、後者のほうが深いし本質的にそれ自体を理解をしている。

人生の時間は有限なので、すべてに深く携わることはできないが、油断していると逆に「何でもかんでも浅くやる」という状態になってしまいそうになる。「広く浅く」という言葉があるが、あれしかない状態を指す。

僕もなるべくこの「広く浅いだけ」にならないように気を付けているし、これがなぜ馬鹿さにつながるかという話だが、その最たる理由が「想像力の欠如」だ。

専門性が薄っぺらい人間になると、自分の専門外の話題についてもあまり深く考えなくなる。

人間は自分の知っていることを使って、知らないことへの理解を伸ばしていく生き物だからだ。

自分の好きなことや得意なことと深く付き合っているひとは、知らない話も面白く聞くことができる。「知らない話にも深さがある」という想像が働くようになるからだろう。

「専門外のことをどう聞くか」が大事だと思うのだが、あからさまに薄っぺらい聞き方しかできないと、シンプルにつまらないやつになりがちだ。

「これは専門外」
「これは私には難しすぎる」
「これは関係ない」
「これは面白くない」

最初から拒否してしまってはかなりデンジャラスだ。是が非か、良いか悪いか、そういう遮断をしていると、だんだん頭が萎縮してしまう。  

「以前に少し試して駄目だったから、もう関わらない」というのもおかしい。「俺は成長などしない」ということだろうか。ならば余計にやってみるべきだと思う。

身体的なことに関しては向き不向きがあるだろう。「真夏のフルマラソンをお試しでやれるか?」と言えば現実的に難しい。

でも「考え方」みたいな部分においては、そういったしがらみがほとんどない。服ならばサイズが合う合わないがあるけれど、思考にはサイズ感などない。

理解不能なことに対して柔軟性を持てるかということに意識を置いておきたい。知らないことが増えた。危険な匂いがする。

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