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変化

アルバムを出して、タイアップの案件が山盛りに飛んできた。ありがたいし断る理由もないし、好き勝手にやらせてもらっているバンドのくせに恐縮の極みだ。

自分のために作ったものが、いろんな場所に乗っかっていく。モノを作る面白さの一つにこいつがある。今作は「作りたいから作る」から始まったが、歌の感想は受け手が決めるものだ。どう聴こえるのだろうか。

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むかしからずーっとバンドをやってきてるが、変わらないことも変わっていくものもある。「音楽活動」という行動は変わらないけれど、その中身をよく見るとちゃんと変化があるものだ。

プレイや書くメロディの癖、作詞の譜割り。こういった類いは「生まれ持ってのセンス」と呼んでも差し支えないし、あまり変化がない。

「僕自身」はどうなのか、というといわゆる承認欲求が弱まったように思う。他者に褒められて嬉しい、大勢に認められることの価値というものが昔のほうが強かった。

十代は認めてもらえない世間への憎しみで膨れかえり、二十代は何者にもなっていない自分への怒りで擦り切れている。こんな考えでは世間にまるで通用しないが、こうでなくてはならないという気もする。

そんな承認欲求が炎症を起こして腫れ上がっていた。これが少しずつ治ってくるのだろつ。

しかし反面、自分が良い思いをしたいという欲求は強くなった。僕自身は自由でいたいし、自分が思うとおりのことがしたい。他者からとやかく口を出されたくない。だからそんな自分のために、できるかぎりのことをしたくなる。

他者の需要に答えると、お金がもらえるがここに大した感情はない。ゼロではないが「たくさんのひとに感謝されたい!」みたいな気持ちは少ない。

冷血漢みたいな言い草になったが、自分と他人に線引きがちゃんとでき始めたのかもしれない。

「誰かのために作りました」なんて音楽をやってもいない。ここnoteも誰かのために書いているわけではない。「書きたいから書く」というだけで、それをクスクス読んでくれたならコレ幸いである。


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