女遊びとバクチのリテラシー
夜の遊び場に慣れていない。水商売のお店やギャンブルなどをあまり知らない。
このオープニングには印象を良くしたいという狙いも込められているが、『夜』に詳しくないことは事実だ。
僕の十代、二十代は延々とライブと制作、挑戦と葛藤と絶望、そしてたまに味わう「生きてて良かった」という夜で構成されていた。
これももちろん、自分の印象を良くしたいと思って書いている。好印象が手に入ったと信じている。
僕の回りにいるひとは大体『夜』が得意だ。『バクチ』も好きだ。いわゆる『男たちの遊び』のリテラシーが高い。
三十代になって「遊び」を知らないほうが珍しいのかもしれない。
夜の遊びに触れてきていない。それらと接地面が少ない人生だった。それは仕方ない。だけど、「いつかやってみたい」とすら思わなかった。ずっと興味がなかった。
「あはは!草食系なの?」などと言われたら、もちろん思い切り顔面を殴るようにしている。
これは十九歳の頃、ヨモギを摘んで食っていたことがあるからだろう。
草食系どころか草食そのものだった古傷をエグられた気分になるのだ。
だが『女とバクチ』を我慢しているわけではない。心の底から「楽しそう」に思えないのだ。
そもそも僕は世の中のほとんどのことに対して否定的だし、基本的に目についたものにケチをつける。
自分で決めた奇想天外なことは強行するくせに、スムーズに回っている世の中の仕組みが破綻することを祈っている。
未知の経験に対して「試してみよっかな」などと積極的になることも少ない。
そうして「おもんなさそう」の一言で片付けてしまう。「楽しそう」と思うことなど、ほぼない。
おかげで遊びを知らないつまらない男になってしまった。その対価として、好印象が手に入ったのなら良しとしよう。
そもそも「遊びにハマる」というのはドーパミンが出るからだろう。手軽なほどハマるのだと思う。
僕の快楽物質は手間のかかるものばかりだった。難易度の高いものをクリアしていかないと、どうしても気持ちよくなれなかった。
時間は経ったが、内面的に昔から何も変わっていない。それに気付いてしまう日が週2,3で来る。
夜の東京にいると、行きたい場所がほとんどないことに気付く。
酒を飲むなら、銀座よりもストリートが一番美味い。
キャバ嬢と喋るより、イカれた老人や警備員とトラッシュトークをしているほうが楽しい。
知らない女と絡み合うより、知らない酔っ払いと掴み合っているほうが興奮する。
権力者よりも、ニートとランチをするほうが盛り上がる。
買えるものは増えたが、買うよりも捨てたり壊すほうが気持ちいい。
好印象を手に入れるのもラクではない。
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