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レジクライシス

「周囲にどう見られているか、どう思われているかなど気にしないほうがカッコいい」

こう考える時期があった。反対に「周囲が不快になるんじゃないだろうか……」と感じすぎて言いたいことが言えなくなるひともいる。

この「周囲にどう思われるか」の精神性は音楽なんて作っているとメチャクチャ反映される。

「周りなんて気にしない!」という主張で生きすぎているひとは「尖っているというか、シンプルに変。わけわからん。展開がすべて不親切」みたいなものを生みがちだし「こんな曲作ったらこう思われるかも……」というひとはやたら当たり障りのないものを作っている。

この「周囲への影響力の捉え方」というのは存外、大きいものでクリエイティブな仕事だけじゃなくレジ業務などの一般的なものにも表れる。

知り合いがレジをやっているときの話で面白いものがあった。

その日は仕事中におっさんの声で「馬鹿かよ!?」という怒鳴り声が店内に響いた。
ふだんの「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「袋はご利用ですか?」「大丈夫です」とどう考えても聞き間違えることがない「馬鹿かよ!?」である。何ならちょっと質問している。

彼が「馬鹿かよ!?」と聞こえたほうが見てみるとアルバイトの女の子がレジに立っており、おっさんは怒気を孕んだままツカツカと出口へ向かってしまっていた。この二人が「馬鹿かよ!?」と疑いを持った側と持たれた側である。

「どうしたの?」と彼が聞くと女の子は「いやぁ……後から小銭を出していいかって聞かれたんで」と答えた。

「え?別にいいじゃん。小銭出させてあげたら」
「でももう後からなんで」
「でもできるじゃん。そんぐらいやってあげれば?」
「まぁでも後からなんで。先に言えば良かったのに」

この子に対して「馬鹿かよ!?」というフレーズを放つ客のスピード感がシンプルで好きなのだが、もう尖りまくった精神性が渦巻いていることが分かる。

彼から聞くに小銭を追加することは業務上タスクとして軽いそうなのだが、彼女の魂がそれを許さない。

いろいろとこじれてしまい、ややこしい性格なのだろうけど、彼女が「周囲にどう思われるか気にしない自分」を大切にしてきた結果なんじゃないだろうか。

【周囲にどう思われるか気にしていない人間になりたい→本当に気にしなくても平気になる→嫌がられる→モメる→感情的な相手との対峙に慣れてくる】などのエスカレーションが起きる。

楽屋とかにもたまにいる。僕もどちらかと言うとこの女の子よりだったので分からないでもない。

もちろん良いことはないし、なんだかんだこの精神性は受動的だと思う。「周りにどう思われるか」なんてことは他者が決めることでしかない。

必要なのは「他人にどう思われるか」から「他人にどうやったら気分良くなってもらえるか」という姿勢のギアチェンジだ。
コントロールできる限りのハンドルを自分自身で持っておくことじゃないだろうか。

精神性のスタンスに過ぎない。だけど創作物は次第に歪つじゃなくなっていくし、小銭も苦もなく追加で支払われるんじゃないだろうか。

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