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人間が理不尽ながらも死ぬ理由!

ロックスターは二十七歳で死ぬ。

ジム・モリスンもブライアン・ジョーンズもカート・コバーンもジミ・ヘンドリックスもそこで終わった。

音楽家としてのクオリティはまだまだ先にあったのかもしれないが、とりあえず死んだ。

僕は二十一歳で死ぬつもりだったが、それを過ぎてしまった。「次こそは!」と二十七歳を狙っていたが、そこもまた過ぎてしまった。

当時はなんだか拍子抜けてしまった。「嗚呼、俺はロックスターではなかったのか」と天国に呼ばれなかった疎外感にふてくされながら生きていた。

このふてくされは今も続いているが、とりあえず医者や友人、部下には「四十までには死ぬと思う」と言われている。

予想が外れまくり、「次は、次こそはこの台が来ると思う!」と吠えるパチンコ中毒者のようだが、まぁほんのり期待している。

しかし二十一歳になったとき、本当に死にそうになったことがある。呼ばれかけはしたのだ。

風邪でもひくように強度の躁鬱に襲われた。ごく自然と病気になった。

うつも怖いが本当に危ないのは躁だ。

身体の内側から全能感が発散され、あらゆる問題が小さなことに思えてくるのだ。

併せてうつの特徴に「自殺念慮」というものがある。死のうか死ぬまいかずっと考えてしまうのだ。

躁鬱というのはこの状態を行き来する病気だ。

うつのときに死ぬか死ぬまいかを検討して、躁が訪れると「イケイケドンドン」になると考えると分かりやすい。とにかくデンジャラスすぎる。

で、結局マンションの十五階から飛び降りることに決めた。「さぁいくぞ」と立ち上がったときに遊んでいた女性からたまたま連絡があり、助かった。

強運であったのかもしれない。

だが、あれ以来こう考えるようになった。「人間には『役目』がある。その役目を終えるまでは人間は殺しても死なない」

逆に役目を終えた人間は理不尽だろうが、不条理だろうが死ぬ。

まだ自分には役目があるのだろうか?と疑問に思うこともあるのだが、生きているならば、おそらくそれなりにあるのだろう。

僕もあなたも役目の中で息をしている。

「今日が人生最後の日」だとして後悔するならば、「なんか違うな」という毎日が続いているならば、きっと役目から遠い位置にいるのだ。

役目を果たさないとキッチリ死ねない。役目に近いところにいないと、死に近づくことすらできないみたいだ。

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