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ネットの『優しいウソ』のウソ度ランキング

「SNSのインプを稼ぐには『厳しいシンジツ』を言わずに『優しいウソ』を伝えて行くこと」という話を聞いた。SNSのマーケだのなんだのをやっているという男から。

たしかに現実における元も子もないことよりも「ゆるくてもいいんやで( ´ ▽ ` )」みたいなもののほうが眺めていたい。

だけど後から本当のことを知っても手遅れな選択も多い。周りに「叱ってくれる味方」がいないと人生が詰んでしまうリスクがどんどん高まっているのも事実だ。

そしてネットの『優しいウソ』は「本当のことを言っていないだけでウソではない」というグラデーションの中を泳いでいるのがズルイ。そこでこのウソレベルをランキング形式で並べてみた。薄いウソもあれば濃いウソもある。

✅5位
「継続は力なり」という時代は終わり。「最低仕事は3年やろう」なんてサブイこと言わずに嫌な仕事はさっさと辞めて好きなことをしたほうがいい

この言説はよく聞く。東日本大震災あたりから流行りだした気がする。でもシンジツとは5,000光年は離れているように思う。

ホリエモンの「寿司屋の修行10年やるのはタイパ悪い。YouTubeで握り方覚えてアジア人市場に売って出るほうが良い」というカウンター的発想に影響されたものなのだろうか。
体感だけどこの「継続は力なり時代の終焉」というのはまだ来ていない。

たしかにホリエモンの言説は頷ける。努力よりは市場規模を優先すると儲かるよん、ということだろう。これを「続けることに意味はないからとりあえず触ってみて無理ならやめよう」と歪曲して捉えると悲惨なことになる。

チャレンジして、やめても何もしないパターンが多い。もしくは大して生産性に差が無いことをまたイチから始めている。これなら続けていたほうがまだマシだ。
何事も3年も続ければそれなりのレベルになる。少しずつグラデーションでやれることが増えていく。継続は微力かもしれないけど継続は無力ではない。一発逆転の一発を半年以下のスパンですら考えられないと詰む。

✅4位
正社員より個人事業主のほうがアツい

間違いでもない。だけど副業として始めるのがベター。
たとえば「何かの仕事で20万稼ぎながら副業で5万円をまず目指す」とかからやる。だんだんと成長してきて本業を上回るようになったとき、初めて副業一本にしたほうがいい。じつはAmazonやGoogleなんかもそうして始まっている。

ディフェンスがちゃんとあるからこそ副業でおもいきったことができる。
僕も副業が膨らんでしまって税理士に相談したところ「法人化しろ」と言われた流れだった。事業計画から作らないといけないわけでもない。作らないと動けないなら作ればいい。

反対に「勝負をかける!裸一貫!」みたいなイメージで失敗した例もたくさん見てきた。この背水の陣系スタートアップは高揚感がエグいのだけど、仕事なんて高揚するためにやっているわけでもない。「利益が上がっているのが普通。赤字状態こそ異常」というスタンスが大事。なんか何もしていないのに法人登記からやる輩とかも変。「俺社長!」とキャバクラで言いたいだけの気もする。

5位よりもシンジツとウソの距離は近いように感じるがこの風潮がやたら強いので4位。

✅3位
恋人とか友だちとかいらない。今はそういう時代

告るとSNSで晒される時代らしい。その恐怖から男たちは「協調性が高すぎるあまり恋愛なしでも幸せ」という生き方に落ち着いた。この「単独でも幸福度が保たれる」という見解は難しい。

僕もあなたも「この一ヶ月楽しかった出来事を思い出してみろ!」と言われたらほとんどのひとは誰かと一緒に過ごしたことを思い浮かべると思う。自分の部屋ネトフリやゲームを一日中やっていたことを幸福と述べるひとは稀だろう。
ちなみに「幸せを感じた瞬間は?」とアンケートでとっても共通していたのは「誰かと一緒に過ごす時間」という回答になっている。

誰かと過ごす、誰かに何かを与える、与えてもらうということから逃げるとロクなことがない。
僕も実際にそうして生きてみた期間があるけれど、ロクなことがなかった。本当にオススメしない。

✅2位
お金よりも好きなことをやる

よく聞く。実際、僕も就職も何もせずに音楽という進路をとってきた。
間違いなのは「好きなこと」と「お金」がトレードオフになっていることだ。「好きなこと」と交換するものが「安定」や「時間拘束」「職務経歴」ぐらいなら全然問題ない。

だけど好きなことを広めたり磨いたり活かしたり続けたりするのにお金は避けて通れない。避けて通る理由もない。むしろ金銭問題をすり抜けて「好きなこと」をやっているひとがいるならば、これは影では誰かが泣いているということだ。

僕の回りにはバンドマンがたくさんいるけれど、お金の問題と向き合っているか逃げているかは如実に二極化している。正直、向き合って何とかしたいと思っていれば何とかなる。
問題は「何とかならなくてもいい」と考えているケースだ。

マトモな社会の位相で生きているバンドマンのイメージは「バンドマンって貧乏だけどがんばっていて、ツアーとか回ったり曲作りしたりしてるから時間もない…って感じなんじゃないの?」というものらしい。

そういうひともいるかもしれないが、実際に目にするのは「何とかならなくてもいい」と考えているケースだ。

✅1位
無理しなくてもいい。ありのままの君で。生きてるだけでいいのよ

ふわっとしているが堂々の第一位にしたい。
僕はゆとり第一世代なのでこの論調の申し子なのだが、かなりの劇薬だと感じている。

やはり「厳しさへの耐久力がない」は生まれつきの脳のつくりもあるのだろうけれど、間違いなく後天的に鍛えられる。拷問や虐待なんかにも慣れるのが人間だ。つらいことへの感じ方は必ずニブくなる。この「100%鍛えられる力」を放置していくのはもったいない。

ドラえもんのひみつ道具に『いたわりロボット』というものがある。

とにかく何でもかんでも肯定してくれるという道具だ。「甘やかしに依存するとヤバイぞ」という名作。

8歳ぐらいでこれを読んだ記憶があるけれど、今読むと100倍頷ける。
幼い頃、快楽に溺れると将来家がなくなる恐怖に怯えたが、30歳を超えると数ヶ月後にでもなくすことになる。この恐ろしさは凄まじいものがある。

「ありのままでいいのよん」という言葉はパワハラや虐待が問題視されている昨今に抜群にフィットしているし、その言葉をベースに作られた環境が快適であることに間違いはない。

しかしこの言葉をかけてくれたひとはずっと面倒をみてくれるわけではない。大人になるならどこかでギブアンドテイクの関係が築けるだけの価値を自分の中に形成しないといけないのだ。

その中で「厳しさへの耐久力が平均以下」は重いハンディキャップになるし、人生は爆裂ハードモード化する。
当の本人からしたら耐えられないもんは耐えられないのだけど、他人から見たら「能力低くても耐えるぐらいはやれよ」と思われてしまう。それぐらい「耐える」という行為は難易度が低く思われているし、気持ちも分かち合えない。

それでいて残酷なのが耐久力のある人間と横並びになったとき、人格を含んで比較されてしまうことだ。「能力的にできないけど頑張ってそう」というひとは社会から可愛がられる余地があるけれど「できないし、やりもしない」と見られてしまうので「無能だし尊敬もできない」みたいなレッテルを貼られることになる。

「最初はポンコツだけど続けているうちに通用しはじめる」ということは実際にあるけれど、耐久力がないと確率すら生まれない。なぜなら「続けているうち」が来る前に折れてしまうからだ。こうなると「最初っからうまくいったこと」ぐらいしか選択肢が選べない。考えるほどに詰んでくる。

まとめ

並べてみると生きるって改めて大変なように感じる。でも簡単なはずもない。だけど命の危機を感じるほどでもない。10万年前とかだったら獣、天災、基金に怯えないといけなかったし、数十年前でも戦争に怯えなくてはいけなかった。
それに比べれば「やれば何とかなる時代」とは言える。覚悟あれば身一つで身を立てられるのはありがたい話だ。

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